あなたに愛を告げる/言葉を探しましょう/並木道を歩く二人に。こんな流行歌があった。愛を自分のなかに擁いているのだろうかと自問を続けた。その 自信のなさと熱くなる情熱との二つの心を葛藤させながらこれを書き、結局今は「恋文」としている。もう終章のつもりでいるのでこのあとに改めることもない だろう。恋心は幻のまま、そして纏まることもなく、散り散りの言葉を集めて、つまりは塵とする覚悟を決めるため書き続けられる。
たまには雨もいいさ、ちょっと湿って。そんな十七音のつぶやきが残っている。まるで、詰まらなくなった講義の合間に大学ノートの片隅へ書く落書きの ようだ。その十七音がとても切なくナルシスト的だ。秋は無言でいても時めいていても過ぎてゆく。指切りを思い出すたび彼岸花。赤色が好きだ。秋晴れの青空 を見ても、それが、夕刻には真っ赤に燃える夕焼け雲に変化しても、何を見ても人が恋しいときには、もはや手の施しようがない。
初恋なんて覚えてないわ…体育祭。私の地方ではまだ紅葉は色づかないけど、九月の中旬にどこかで秋の運動会を見かけて初恋のころが急に懐かしくなったのだろう。職場の体育祭やマラソン大会というとあの人はいつも人気者だった。見かけは小柄だが、負けん気が強かったのかも知れない。元気に汗を流している姿が印象的だ。しかしながら、その溌剌さの陰には細雪の女四姉妹の三番目の雪子のような性格があったのかもとも思えてくる。
深まる秋にその心の寂しさも萎えてゆく自分の弱さも知りながら、おはようと爽やかに挨拶するよりも、さようならと明日を見つめて分かれるほうに、静まった自分の気持ちを置いて眺めているような自分がいる。「坂道の下のイチョウが散りました」こんな十七音を残し、静かに自分を見つめる夜を迎えてる。秋は少しずつ彩りを重ねて、寒さも日一日と忍び寄る。「しずけさが誘ってくれた白い月」名月の夜に空を見上げてひとりでそう詠む。
分かれは日常の記録にとどめるまでもないままで繰り返されて、聞こえることのない小さな一言のつぶやきは私の魂の炎の源に当たる芯を痩せ細らせていった。それはあたかも人間が餓死してしまう際に衰えてゆくような痛みを、何ら齎すことなく苦味だけを帯びた苦痛を残し、私の魂はそれさえも覚悟のうえで受け止めながら、分かれがいつか最後に別離になってしまうときを陽炎を見るように思い浮かべていた。そこには逆らえない壁がある。
秋のある日の私の小さな旅は取るに足らない些細な出来事なのかも知れないが、一方で絶対に失いたくないひとつの思い出でもある。まるで駅のホームで恋人を送るかのように私はその人と別れて、小さな路地へと行ってしまう車を見送った。帰りにはお祖父さんのお墓参りをする言っていた。その言葉がその人の優しさを象徴しているのだと思う。その人はまっすぐ私は右へと、小さな集落のなかにある交差点で、さようならと呟いて分かれた。
2010年 06月 15日
そうだ。塵に還ればまた新しく芽を出して、再び花を咲かせることが出来るのだ。生命がこの世に生まれて活動を終えたときに還ってゆく場所が土であるように、もしも私が花ならばこの花も土に戻ってゆかねばならない。物語は切ないほうが、味わいがあるかもしれないし、その次のシリーズが生まれやすいのかもしれない。はっきりと無理だとわかっていても、はっきりと言葉に出して「嫌いだ」とか「好きだ」と言わせたい性格なのだろう。
2010年 06月 15日
終楽章 (千夜一夜・その119)すでにもうこの物語は終楽章に入っているのであろうが、昔に「鳥のひろちゃん」を書いたときも「鶴さん」を書いたときもそうであったように、一向に終わりだと認めようとしない自分がいる。花がピンクやオレンジや黄色など様々に咲き、見る人を和ませてくれようとも、いつかそのときが来れば枯れて、萎れた花びらは枝から落ちてしまう。誰かに拾われ土に埋められれば幸せだ。行き交う人に踏みにじられ、やがて風に吹かれて塵になる。
2010年 05月 21日
弱くて愚か (千夜一夜・その118)やがて必ず訪れる別れのときは、それ自体が悲しいものか、それとも幸福を伴うような必然なのか、またはいずれにも当たらないことだってあるだろう。まったく想像はできないにしても、心のどこかで覚悟をしているのかもしれない。しかし、その反面、いざそのときを迎えたらおそらく未練を隠せず、ジタバタとする自分も見えるのだ。もっとも私らしい姿を曝け出しながらその人とサヨナラをするのだろう。弱くて愚かな自分を哀れもう。
2010年 05月 21日
夢を語る (千夜一夜・その117)この人は何を考えているのだろうか。きっとこの子にも大人の恋があったのだろうな。それが熱いものであるとか深いものであるとか、私には知る由もない。ただ、好きな人が永遠に幸せであってほしいと願うのは誰しもが同じで、この人を幸せにするチャンスも力もないけれども、今、小鳥の囀る森の中に身も心も埋もれさせたままで、束の間の幸せを感じその光輝を浴びながら、この人の幸せの夢を語って聞かせて欲しいと思ったのだった。
2010年 05月 20日
山帰来(2) (千夜一夜・その116)山帰来であの人は山モモのジュース、私は何のジュースだったか記憶にないけど、めはり寿司も注文した。茂みに囲まれた山の斜面に建つ静かな店だった。とても私たち二人が来るには相応しいとは思えない。まもなく挙式を控えた二人ならわかるが、イケナイ二人の来るところではなかった。山モモのジュース、久しぶりだわ。そうその人は、まるで呟くように、私から目を逸らせたまま海を見ている。何を思い出しているのか。気に掛かる。
2010年 05月 20日
秘める (千夜一夜・その115)私にとっては猫としか思えない。でもそのことを口にすると少し不快な顔をする。滅多に不快な顔をしない人だ。気に食わないときはよそ見をして知らんふりをしているような人だ。不快な顔をされるとこっちはちょっとどころか凄く落ち込む。何ひとつ私の望みを叶えてくれるわけでもないこの人を、じっと見ているのが好きだった。何ひとつ幸せにならない。そんな夢を胸に抱きながら見つめているのだ。辛いのだがそれはそれで幸せだった。
2010年 05月 14日
熱情 (千夜一夜・その114)時計の針は止まらない。止めることもできない。コチコチと時が刻まれてゆく深夜、この流れに身を任せて次なるドラマの筋書きを私は描こうとする。かつて大きな夢を胸に目前の荒波に向かい、勇気と情熱で船を漕ぎ出そうとしたときの、揺るぎないシナリオは誰にも負けぬエネルギーを持っていた。しかし、細かく刻み続けられた時空の果てに、小さな変化が大きなものとなり、あのときの熱いモノが些か衰えてしまったようだ。暫し休むか。
2010年 05月 12日
猫よ(4) (千夜一夜・その113)あの人は、猫と犬ではどっちが好きかというような世間話的でアイスブレーク的な話にもまったく乗ってこないマイペースな人なのだし、馬鹿げた話をすることに交わるのも好きでないようだ。ましてオトコ好きでもない。もっとも私はこの人にモテようと思っているわけではなく、この人のちっこくて優しい目と、可愛いエクボ、ときどき見せるはにかみを含んだ話し方が好きなだけだから、早く嫌いにならねば自爆をすることになると思う。
2010年 05月 12日
猫よ(3) (千夜一夜・その112)その怒りの様子を見て百年の恋も冷めたか、とまでは言わないが、濃い化粧が嫌いな私がここまで貴方を思っているのに少しはわかって欲しい、と思ったのは確かだ。しかし、あの人のそういうところを見ているとまるで、猫に横からお節介をしたときに、奴らが怒り食いついてくるのに似ているな、と思った。今は「アバタもエクボ」状態の私だから大きな失望することなく踏みとどまったものの、というより不思議にも許してしまうのだ。
2010年 05月 12日
猫よ(2) (千夜一夜・その111)私にとって、あの人は何ひとつ分からない不思議な人で、きっとあの人は正体不明のまま、私の前から姿を消してしまう日が来るだろう。そんな微かな予感がある。猫のようだと私が言えば、どうやら猫にはマイナスのイメージが多いらしく、とても不快そうな表情をするし、化粧が濃いと言えば、それを私がどう感じているのかを聞こうともせずに珍しく怒りを込めた語調で声も大きめで「そんなことはどうでもいいじゃないですか」と嫌がる。
2010年 04月 16日
秋の終わりに京都の街を散策したくなり、ひょっこりと出かけてみたことがあった。そのことを伝えたくてメールをすると、普段から一向に返事をよこさないあの人が「今信州に来ています」と気まぐれな返事をくれた。自分を猫のようだと言った人があったがそんな風にいわれて嬉しい人がいるものか、と珍しく感情を荒立ててメールをくれたこともあるが、やっぱし、この人は紛れもなく気まぐれな猫のようだ…と私にさえ思えてくる。猫よ。
2010年 04月 14日
予感はある種の理論に基づいて発生するのだと思うことがあって、三度目にこの町であの人に逢った午後、それが最後になってしまうのではないかという叶って欲しくない予感のようなものを感じた。それはあの人が再び今のところに戻ってくるという期待でもあったのだが、春から6ヶ月という時間が過ぎたのだから、さらにあと6ヶ月が過ぎれば今度こそ本当のお別れになるという確度の高い予測もあった。じっくりと考えると悲しみが湧くのだ。
2010年 04月 14日
食物が美味しく風光明媚で人情が厚いから何度訪ねても飽きてこない。次に来てもまたワクワクと愉しめる町に変化してしまったのは、その人の吸引力であるのは明らかで、心とはその程度のものだ。まるで魔法や催眠術に罹ってしまったかのように惑わされて続け、そんなことわかっていますよと思いながらも甘い戸惑いと神経が痺れてゆくようなある種の悪質な酔いに縛られて成すがままに流されている。この人に恋をしてはいけないのに。
2010年 04月 14日
手帳から。この人がこの小さな入り江に帰ってきて住み始めるまではまったく気に掛けなかった町なのに、初夏の或る日にあとを追ってこの人を訪ねて以来、まるで一夜にして色を塗り替えたかのようにこんなちっぽけな地方の町がまったく違った町に見えてきたのです。あれから私は、例えば贔屓にする町で美味しいワインを求めるように、この町に立ち寄るようになったのです。峠を越え最初のコンビニを曲がり港までゆき片隅の公衆電話まで来て。
2010年 04月 09日
私はあの人を脳裏にしまってあるの。メールをしても返事もくれないのに顔を合わせば別人のように優しくにこやかに私の話に相づちを打って、やがて疲れたように小首を傾げて眼を閉じてしまう。話すことに疲れたかのようにふわっとしている姿が私の心をどんどんと痺れさせてゆく一方で、これ以上あなたを見つめていたらわたしは生きていられなくなるのではないかというような錯覚にも似た衝動が襲ってくる。でも、騙されてはいけない。
2010年 04月 07日
今夜はどんなお話をあなたに書こうかな。私がとても醜い人間だということでも打ち明ける?いいえ、そんなことしたって、破滅のときが近づくだけだから、今夜はあなたのことを思い出して、少しお酒に酔ってみたいなと思っています。きっともう、私のことなど気に掛けてもいないだろうけど、私はたった三回だけでもあなたに逢って話ができたことを永遠の思い出にしているんだから。出さない手紙でも、こうして書くのが好きです。
2010年 04月 06日
黒い天使。あなたは私にとって悪魔のようで、ほんとうだったらトコトン嫌いになって、おもいきりなじって、憎まれ口を叩きつけてやりたいほど嫌いだった。そう思いながらも、好きだった。抱きしめたいとかキスしたいとか、そういうのではない。憎らしいけど好きなの。そんな音楽があったけど、気持ちはあの音楽のように陽気じゃない。私はいつでも、あなたを連れ去って独り占めしてしまいたいという夢ばかりを描いていたのだから。
2010年 04月 06日
好きですと、リンゴをかじって言ってみる。そう紙切れに書いて暮れゆく秋を哀しみながら、もうすぐきっとあの人が戻ってくるのだと少しだけ喜んだ。しかし、あのときはあの人に再び会えることが、即ちやがて遠くて永い別れになってしまうのだということを気にかけなかった。予想をしなかったわけではなかったものの、元気になって戻ることのほうが嬉しかった。ひとりよがり。わたしはあのときのほど醜い人間であったことはない。
2010年 03月 27日
三月のある日、色彩を失った月の光が照らし出す庭の中に雪柳が陽炎のように潜んでいる。まさにそれは潜んでいるというのが相応しいほどに、惑いを漂わせていた。思わずわたしは好きな人の名を呟いてしまった…。その瞬間に途轍もない諦めの感情がわたしを襲う。その日、街では卒業式に向かう袴姿の女学生をたくさん見かけた。そうだ、決定的な日が時々刻々と近づいてきているのだ。散歩道誰を待つのか春ベンチ。そう、刻々と 忍び寄る。
2010年 03月 27日
誰にも知られたくない激しい欲望を私は持っている。それは、あなたを独り占めにしてもう絶対に放さないのだという強烈なものだ。しかし早くあなたを嫌いにならなくては私も滅びるかもという不安もある。春になって喧嘩をして、冷たい雨に濡れながら「さよなら」できるだろうか。と、そんなおぼえがきをノートの端くれに書きながら、好きです嫌いですを繰り返している。まるで、ドラマの狂人を真似するように、わたしは振舞うのだ。
2010年 03月 13日
いつかどん底へと落ちてゆく予感をわたしは察していたのだろうか。その人が笑いかける小さな目と、かわいらしいえくぼを、じっと見てひとり占めしていると、何もそれ以上を望むことはない。半年間に三回だけお目にかかれたことの幸せを感じながら、もしも毎日でも会えるようになるなら、たとえばそれは同じ職場に居るような、それは夢物語だろうか。しかし、もしもそうなったらわたしは、きっと、ダメになるのかもしれない予感がする。
2010年 03月 05日
しかし、目の前にいる人がわたしに夢を与えてくれているのは確かだ。この人を想いながら、どきどきメールを打ち、たまに返ってくるメールに胸を熱くしている。そしてその物語のオマケとして、こうしてここでお茶を飲んでいる時間があるのかも知れない。わたしは夢中なのだから、この人にマイナス点など何ひとつないと思っている。考えてみればそんな人が世の中にいるわけもなく、落ち着いているようでも惨憺たる会話が続くのだった。
2010年 03月 04日
わたしは、1年という時間をかけてひとつの夢物語を絵描いてきたのだと思う。それは情熱的なもののように見えたこともあり、ときには無謀でもあり、禁断を犯そうとするようなものであったのかもしれないが、しかし、その実態はただの夢であったに過ぎないように思う。わたしはこんな夢をときどき見ながら、夢とは何かを考え、夢って現実の裏返しではないかと納得させて、明日からの希望の活力にしてゆく。何とも儚いものなのだと思う。
2010年 02月 24日
ふた月ぶりに見るこの人の顔をじっと眺めていたいという願望だけが少しずつ叶おうとしている。不思議な人。血液型を訊ねても誕生日を聞いても教えてくれない。性格だって明るいのか暗いのかもわからない。何が趣味なのかも知らない。モテルかどうか、でも、人気者だろう、子猫のように大事される子だろうと思う、けど猫のような人じゃない。私が筋書きにないことを、再会の感動で動転しながらサササと喋ってしまったら、黙ってしまう。
2010年 02月 23日
歴史古道として残される石畳を迂回し荷車のための細道が山の中腹を取り巻くようにゆらゆらと延びている。旅人たちはこの道の途中で休みながら刻々と姿を変える入江の姿や海の色を眺め、二つとして同じ形を成さない漁村を次次と歩き繋いで熊野の霊場や伊勢の神域を目指したのだろう。ただそんなことを考えながら、人里から奥まったカフェまで案内してくれるオレンジの車の彼女の後を私は追った。余計なことは何も考えない、思い付かない。
2010年 02月 23日
そもそも、逢いたいと思ってもホイホイと逢えるような間柄ではなく、ただの知り合いなのだから、その潜在的な私の心理が幾ら強烈であったとしても、この世の誰もが許しはしない、この世の掟として恋することは許されない。あの人はことのほか厳格な人なのだから、好きだということを私がどれほど情熱的に語ろうが、まったく気に掛けない素振りだ。しかし私は、海に呼び起こされ鄙びた漁村に立ち、入江にある小さな集落まで来てしまった。
2010年 02月 23日
二ヶ月間、逢いたいと思わなかった日はたった一度もなかった。朝焼けを見ても、夕暮れに佇んでも、ひとときもその人のことを忘れることなどなかった。西の空が真っ赤に焼けて、そこにちょうどひこうき雲が焦げつくように消えてゆくのを発見しても、その感動を言葉にして出せない手紙、出してはならない手紙を、ぐっと心の奥にしまい込んだのだった。メールじゃ伝えられない。だけど、目の当たりにしても夢のように時間は消えるのだが。
2010年 02月 21日
さて、どこに行きましょうか。その彼女の気持ちに私がどのようにリクエストを伝えたのかは記憶にないが、とにかく二ヶ月ぶりに会い元気な顔を見たのだから、少しでも他愛ない話で構わないから静かに時間を過ごせるところへ行きたいと私は考えた。あの人がそんな私の気持ちを察してくれるわけがないし、察する必要もないのだが、もしかしたら、この近辺で最も素晴らしい安らぎの空間を持ったところへ案内してくれたのかもしれない。
2010年 02月 21日
ケータイを車の中に置いたままコンビニに行っていたので一度目の電話には気づかなかったという。そのことをサラリと話してケラケラケラと笑っている。許されない人に会いに来ているのだから強い姿勢で来ないでほしいと叱られてもおかしくないし、昨晩のメールで訪ねてゆくと書いたのにそれには一切の返事もよこさなかったわけだから、私としてはさっき掛けた電話に出るという確信はなかったし、まして再会できるという筋書きもなかった。
2010年 02月 21日
不思議な人だ。自分に寄せられた気持ちが如何なるものかを知りながら、呼び出されても出てきてくれる。相手がどれほど熱い気持ちを投げつけても、かわすことなく受け止めて、何もなかったようにニコニコしてる。自分のことを好きになること自体がありえないことで、そんなことは許すも許さないもない。一貫しているその人は、私などよりも遥かに大人であり、百歩も先を見通していたのだ。そんなふうに思うのはあとになってからだ。
2010年 02月 06日
いったい何処にそんな魅力があるのだろう。誰かの小説がそんな自問を書いているのを読みながら私自身もあの人のことを同じように考えていた。呼び出したりして果たしてそれに応じてくれるのだろうか。不安に満ちて震える手で受話器を持った。電話に出るその人の声は沈み込んではいないだろうか。コールの間の静寂は谷底に落ちるようにカラダを締め付けてくるようだ。だが、その心配を払拭するかのように元気で明るい声が聞こえる。
2010年 01月 29日
もしも船で沖にゆけたら…ふとそう思う。ロマン溢れた岸辺から一気に斜面は競り上がる。その海辺には民家が点在し、中腹あたりには蜜柑畑が広がっている。半島の背骨にあたる付近は岩が混じった小高い山になっていて暖地性の植物が生い茂っている。そして歴史的な古道の石畳の街道がこれらの山を縫うように越えて何処までも続く。寂れた集落の片隅にあるあの人の家まであと一息という所で私は電話を掛けた。いつもの電話ボックスだ。
2010年 01月 29日
入り江から入り江へとゆくために港からは定期船が出ている。それが小さな湾の入口に一本のすらりとした曲線を引きながら出てゆくのが見える。鏡のように光る海面には生け簀の筏が染みのように点在している。海が白く輝くのは一日のうちで限られた時刻だけだ。私は時計でこの時刻を確認することなく湾の入口で少しだけキラキラと光る海を眺めて、峠を越える街道へと発った。船でゆけば波間から蜜柑畑の中にあの人の家がある。
2010年 01月 28日
どうしようもなく逢いたくて逢いたくて仕方がない夜にメールをしても何の返事もない。なのに夜が明けて再び「逢いに行くことにしました」とメールをすれば、そっけなく「近くまで来たら連絡ください」とだけ書いたメールをよこす。この人はいったいどんな感情の持ち主なんだろうか。やがて秋が来るというのに、ひとりで海に出かけ、そこがあの人の住む隣の入り江で、小さな漁港の桟橋で少し佇んでから、あの人のいる街に向かった。
2010年 01月 27日
私が再びあの人に無性に会いたくなったのは、夏が終わって秋に移り変わろうというころだった。もう海には人影もなかった。砂浜にサーファーがポツリポツリと居たのを思い出す。まだ紅葉の便りさえどこからも届いてこなかったので10月ではなかったのだろうと思う。夏に会った。Tシャツになっても汗が噴出すのを必死で拭きながら、クーラーの効いた食堂の、壁に向かって並んで座る横並びの席で、サンマ寿司を食べて以来だ。
2010年 01月 20日
「ひとりごつ、今夜は気障に飲みとうて」「泣き顔のあなたを。気障に水割りで」とそんな言葉の遊びを並べてあの人を想ってばかりいたのがもう300日ほど前の話だ。春の異動でどこか遠くに行ってしまうのだと思うと寂しくなってくる。実際には離れてしまうことや毎日見かけることがなくなることは然程重大なことではなかったと後になってわかってくるのだが、そのときはどうやってメルアドを聞き出そうかなどと気を揉んでいたのだ。
2010年 01月 17日
昔、銀子と倫子という二人の女性の物語を書きかけたことがあった。実在の人に理想の女性像を重ね合わせて、まったく違った二つのタイプの女性を見つめている自分を書きたいと思ったのだ。今までここに書き綴ってきた「千夜一夜」のあの人は、もしかしたらあのときに私が書こうとしていた「銀子」のような人だったのかもしれない。実は銀子のイメージは明確ではなかった。銀子は美人を想定するがあの人は美人ではない。でもほかは銀子だ。
2010年 01月 17日
最初は「恋文」千夜一夜として始めたころの熱い気持ちが懐かしい。諦めると決め込んでしまったころに、ちょうどそのころに70年代のことを書き始めた。70年代を書き出したら仲良しだった桃子ちゃんのことを思い出してしまい、そうだ、桃ちゃん今ごろ何処で何しているのだろうかと懐かしんでしまった。偶然にもそのとき読んでいた「死の島」(福永武彦)に桃子っていう名前があって、小気味良く「死の島」を読み耽ってゆく。
2010年 01月 17日
依りかかる、母がマフラー巻きなおし。千夜一夜を終わってしまって潔く「うたかた」とカテゴリーの名前を変えてしまった。そう、私は、新しい物語を書き始めたいと考えていたのだ。いくら想っても何も実現しない恋など意味がない。だから坂道を登ってそこでお別れをして、その先の街は貴方の住む未知の世界で、私はそこであなたとお別れしてまた新しい人に出会いにゆくのだ…みたいに考えて、この話をこれ以上書くのを諦めようとしたのだ。
2010年 01月 13日
私は迷路から抜け出せないまま二ヶ月もの間さまよっていたことになる。しかし、もはやその人を掴みきれないと思い本気で諦めたのだから、思ったよりもスッキリした気分だった。というか、振り出しに戻った感覚で、もう心をときめかせることはないのだからと自分で自分に言っている。あの人のほうがずっと大人の感覚の持ち主で、サラリと私のメールもかわしてしまうし、普段は知らん振りしてるくせに全然ツンツンしてるわけじゃない。
2010年 01月 10日
キラキラと霜が融けます音もなく。そんな呟きを残していたのがちょうど一年前で、柱の蔭からあの人を見ていたころがあった。ふとしたことで言葉を交わすようになり、廊下で笑顔の挨拶ができるようになってゆく。その傍ら、伝えられない、伝えても仕方のない我が心を安置する場所を無くしてゆくもうひとりの私がいて、何気ない一言二言の会話にときめいていた。人間はときめいているときが美しく、言葉は流れ星のように自ら消えてゆく。
2010年 01月 09日
今は何処かにやってしまったが、二ヶ月余り前、一枚の紙切れに「諦める」と書いてペンを握ったまま私はその先を書けなくなってしまった。男の人ってアホですね、という言葉は僕を擽るように響くものの、よく考えると途轍もなく大人びて感じられた。ああ、あの人は黒い天使なのかも知れない。どれほど愛しくても好きになってはいけない人で、ときに甘い会話を交わしたとしても僕はそれに戸惑ってはいけない。そう閃くとペンが止まった。
2009年 10月 25日
――男の人ってアホですね(^-^) 明日は早起き。 おやすみなさい と、あの人は返事をよこしてくれた。早起きって何よ。どこにお出かけするの?って尋ねてみたくなるのだけど、初めてメールを書いたときから一度だって僕の質問に答えてくれたことなんかないからね。一見、マイペースなように少しずつ自分を語ることもあるのだけど、僕からすれば知りたいことの1パーセントにも届かない。それでも構わない。後戻りはしてないから。
2009年 10月 25日
きょうは、絶対にメールなんか書くものか、と思ったけど書いてしまった。書き留めておくことや伝えたいことなど何もないのに、ただただ「おはよう」とか「おやすみ」とかを書いて置いて来たいだけなんだ、と思う。それが読まれようが読まれまいが構わない。書いて届ければ気が済むんだ。書きながら僕はどんどんセンチになってゆく。「肌寒し、いかがとひとことメールする」きょうは、ありがとう。そんなメールで意味ないのに出してしまう。
2009年 10月 25日
ちっともあなたという人がわからないままなだけに、好きなんだろうなと思う。もしも、もっと身近で、あなたのことを友だちのように知ることができたら、僕はもしかしたらあっさりとあなたを諦めているかも。それとも、飽きるか、キライになるか、なんかそんな形で遠ざかっていってしまったような気がする。ところが、不思議でわからないあなただから、好きなままなんだろうと思う。だから、僕はこのままずっと片思いでいたいのかも。
2009年 10月 25日
あなたがどこか、声のするほうに居るんだと思うと、嬉しさと、どうしようもできない切なさで、何も手につかなくなってしまう。ほんとうならば、「よかったね、早く元に戻ろうね」って言ってあげるのが優しさなんだろうか、などと、いろいろ頭の中で考えてると、泣きそうになってしまうのでした。キライになることなんか絶対にないのに、キライになれたらどんなに楽になれることか。憎たらしいのだけど、憎くない。やっぱし、わからない。
2009年 10月 24日
あなたとはちっとも話ができない。そのことを嘆いてばかりいますがお許しを。もう、あなたをキライだと思おうと何度も何度も理屈で考えていますよ。でも、キライになるということは理屈では無理なんだな。あなたの声が何処かから聞こえて、あらあなたが久し振りに姿を見せたんだって気がついたら、もう胸がドキドキして、心臓は止まりそうでした。好きになってもそれ以上どうしようもできない人なので、わかっているけど、堪えられない。
2009年 10月 24日
あの日、あなたは明るい笑顔を少しだけ見せてくれました。元気そうで何よりです。ほんとうに、戻ってくるのかどうかとても心配ですし、あなた自身だってさぞかしプレッシャーになっているでしょう。半年以上お休みしましたからね。でも、これからは近くで会えるので嬉しいです。ただ、みんなのところに来てしまうので、僕の心の中に独り占めできなくなってしまっとてもてが悔しいような気持ちでもあります。喜びながら複雑なんです。
2009年 10月 22日
叶わぬ人なのだと何度も書いた。何度書いてもキライになるとか飽きるとかそんなことは無い。好きなままだ。自分のことを何も話さないから、知りたいと思ったことはあったものの今はもう諦めた。どんなに頑張っても、天地がひっくり返っても、それは叶うことが無いのだから、星座を知っても誕生日を知っても仕方がない。このまま好きで居られるのが一番幸せだ。10月の始めに「これきりと言い出せなくて神無月」と詠んだ。それでいいのだ。
2009年 10月 22日
信濃路をどんな風に旅してきたのかを、結局のところ、何ひとつ聞かせてもらえなかった。尋ねても返事が来るとは思えず諦めている。普通ならそこでストンと恋も終わるのだが、ハナから実るものとは考えてもいない恋だから、終わらせる必要も無い。あの人はちひろ美術館とかわさび園に行ったりするだろうかと想像し、もしも彼女が一部始終を話すような人なら、私はその話を聞き終えたときに、叶わぬ人と潔く諦めてしまうのかも知れない。
2009年 10月 16日
この人の趣味も好みも、他にもありとあらゆるあなたのことを私は知らないから、いったいどんなところを、どんな想いで散策しているのかさえ想像できない。ひとり旅なのか、恋人と一緒なのか。車なのか電車なのか。そうだ、北陸へ旅に出たときには、写真を1枚送ってくれたなあ。何が届いても私は嬉しいのだけど、待てば必ず音沙汰が無い。意識して無口を装うように便りが来ない。それでもいい、と私は思っているが、正直寂しい。
2009年 10月 16日
私が信州と奥飛騨の旅を終えて帰ってきたあとに、あなたは信州に旅立って行った。あなたはその旅の二日目で私あてに便りをくれて「信州に来ています、さむい」とだけ書きしたためている。あなたを好きなままでいていいですか、と私が問いかけた言葉は私自身が手紙にせずに握り潰してしまったからあなたには届かない。あなたはいったいどんな人なのだろう。どんな想いで秋の深まる信濃路を旅しているのだろうか。私にはあなたがわからない。
2009年 10月 15日
ショーウィンドウに冬の粧いが並び始めたのにふときづいたある日、あなたが髪形をかえてきたあの日を思い出しました。あのときの日記には「ねえキミの髪形変えたね、言いたくて」と書いてある。秋はもの哀しく過ぎる一面があるものの、私はあなたのお洒落な粧いがとても楽しみで、髪型がどんなに思い切ったものに変わってしまってもあなたの全てが好きだった。職場には珍しいほど茶色く染めた髪とキラキラ光るピアスのあなたが好きだった。
2009年 09月 23日
私は夏が嫌いみたい。自分ではそう思っていないのだけど、秋になるのを感じ始めるとウキウキしている。夏の始まりのころにあの人を訪ねて、ひと月ほどで七夕を迎えました。宇宙のロマンスの物語にテレビもメディアもはしゃぎ立てていたけれど、私には片思いの人に逢える筋書きなどどこにも用意してないから、メールだっていつものように気まぐれで返ってくるのはいつかしら。「七夕は十五夜お月さんみて眠る」っ て送って眠ってゆく。
2009年 09月 23日
<おバカさんそれだけ書いてメールする> タイトルに「チュ」と書いて、そんな十七音を送ったことがあった。8月の下旬ころだ。返事がきて「うぇー きもちわるいタイトルやめてー(゜Д゜) あーびっくりした」と言われてしまった。きもちわるい…か。夜は夏の暑さの余韻でまだ暑い日が続いていたのだろうな。最後に会ってひと月と1週間ほどが過ぎてそろそろもう一度会いたくて仕方がなかったのだろう。メールに書く話題がなかったのか。
2009年 09月 23日
「猫のミーコ」という名前に変更した。どうしても猫を飼いたいという夢を棄てられないのだが、その夢は絶対に叶えることのできない夢であることもわかっているだけに、せめて、ささやかに200字を綴っているときだけでもそこに猫のミーコを抱いてみたいと思った。私は膝に乗った猫をさすっている。首のあたりや顎のあたりをこちょこちょと撫で回しているような想像をしてみる。猫は無言で眼を細めている。ミーコという名前にしたの。
2009年 09月 23日
ときどき、ふっと疲れたようすをみせることがある。おしゃべりな私の詰まらなくなってきた話に愛想をつかせているのかも…と心配をする。でも、きっと違う。この人は私の話をしっかり聞いているだけに、過去の様々な思い出も甦ってきて、自分の心の片隅に眠っている何かに触れているのかも知れない。明るくはしゃぎ回っているような活発な姿の裏に、情熱のようなものを感じるものの、それは私のこの人に賭ける夢の写しなのかもしれない。
2009年 09月 22日
目の前に見つめていたい人がいる。静かな時間が流れる中で私は、隣に座るあの人のほうへ身体ごとよじって、座り直して、いつまでも見ていることができた。何の照れもなく恥じらいもなくあの人を見ていられた。この人は、いったいどういうつもりで街まで出てきてくれたのだろう。森に包まれた小さな丘の中を通り抜ける道を、入り江に沿って湾のはずれのほうへと行ったところにこの人は住んでいる。ひっそりと蜜柑の山に囲まれて。
2009年 08月 25日
今さっき「鰻巻き食べました」と書いたが、括弧書きで(夢か)と原文には添えていた。ゆっくりと二人でウ巻きを食べた夢を見たかったのか…。街の国道沿いの小さな食堂で、鯖のあぶり焼き鮨やサンマ鮨、めはり鮨を選んで食べた。そこにウ巻きもありました。だから本当は夢ではなかったのだが、私は照れたのかも知れない。並んでお鮨を頬張りながら私のお皿を覗いてシェアーしましょと言って鉄火巻きを私のところから摘んでいった。
2009年 08月 25日
丑の日にあなたと鰻巻き食べました、という呟きを書き残した。ひごろの出来事や小さな事件などの話をひとしきり終えたらあの人は自然に黙ってしまう。明るく活発そうに見えるけれども、もともとは静かな人なのかもしれない。何も会話が起こらないあの人との間には、深い河があるのかもしれない。けれども、渡れないわけでも向こう岸が見えないわけでもない。私はあなたがニコニコと子どものようにうまきを食べている姿を見ていた。
2009年 08月 24日
あの人と会ったのが18日で、あれから1ヶ月余りの日が過ぎていった。会えないのはとても辛いし、手紙があまり来ないのも寂しいものだが、毎日ひとときたりとも忘れることなど無いので、思い出すたびに何かを書いてしまう。だがそれをそのまま送れば、読むほうも困ってしまうだろう。届けたい心は今にも弾けそうなのだ。難しい。しかし、想い続けていることは伝えたので、あとはもう何も届けるものは無いのかもしれないとも思う。
2009年 07月 23日
黄色のカンナの花が道路脇に咲いている。真夏の花だ。頭がくらくらとするような暑い夏には、なぜかこの黄色い花が心を落ち着かせてくれる。春は鮮やかな緑と青の木々のなかを駆け、夏は黄色い花に癒され、秋には燃えるようなショッキングな赤色に刺激を受ける。燃えるような暑さのなかへと、身体じゅうが融かされて投げ捨てられてしまうような激しい季節なのに、黄色という色が夏には凄く似合う。自然界の植物たちにも黄色の花が多い。
2009年 07月 21日
彼女と同じケータイが欲しいな、ってな調子で、ケータイを持たない僕がそんなオモチャを欲しがるようになった。デスクにいると、グループの島を二つほど跳び越したところにあの人の姿が見える。それを何気に毎日楽しみにしていた。遠くから眺めているなんて怪しいオトコのすることだ。でも、3月までの僕はそれで充分だった。もうすぐ居なくなってしまうと思うと焦ってしまった日々もあった。彼女のメルアドを知りたいと思った。
2009年 07月 20日
実は、あの人のことなど、何も知らないんだということが、自問自答を繰り返すうちにわかってくる。趣味のこと、嗜好のこと、友だちのこと、休日の過ごし方、などなど。知っていることって何だろうか。名前と出身地と住んでいる街…くらいかも。もっと知りたいと思うと、知らないことも素敵に思えてくる。例えば、もしも僕の全然知らないファッションをまとい、知らない音楽を聴いていたとしても、みんなそれは素敵に見えてくる。
2009年 07月 19日
3月の終わりに組織が変わって、それきり僕はその人に会えないままだった。最も近くに居ながら、会いたいなと思っても僕の自由で会えるような人じゃない。メルアドを聞き出したいな、どうしたら教えてもらえるだろうか、と悩んでいる間に年度が変わって姿が消えてしまった。お茶や食事に誘うなんて到底できっこない。せいぜいメールを出すくらいのチャンスが欲しい。そんなことを思うと、いわゆる妄想状態に突入してしまうのだ。
2009年 07月 06日
4月の中ごろには花が散って、その散り様を見ながら僕はあなたに会えないことを悲しんでいたのかも知れない。花びらが舞い落ちてくる一、二秒の間に「散りゆくものを手のひらにのせてみる」と十七音にのせた言葉で想いを刻み留めて、淋しい雨を自分に受け入れようとしている。哀しみは、ときどき、大きな周期でやってくる。それは、誰にも話せない無力を伴っていて、僕はぶつけようのない不安と淋しさと苛立ちと、あなたへの想いを、悶々と抱き続けている。傘を差して歩き去ってゆくあなたのうしろ姿…。
2009年 07月 06日
「詰る」(なじる)という言葉が気の毒に思えてね。だって、詰る人にも言い訳があるのでしょうし、それを聞いてあげたいと思ったんだ。「花冷えを詰ってそっと腕を抱く」4月の花の咲くころに僕は、君のことを思い続けていました。でも、僕の前に君の姿が現れることはなかった。ドラマのセリフのパクリでもある「オマエなんか嫌いだ」はすっかり口癖で、ぶつぶつ言いながら、会えない君を思い出していたのが4月だ。あのころは、それほど必死に会いたいとも思わなかったの。遠い人だったし、夢の中の人だった。
2009年 06月 27日
そんなメールでウキウキの僕を傍で見ている或る人は「オジサンが遊ばれているだけだよ」と進言する。友だちならもっと優しく労わりつつもデリカシーのある言葉で戒めてくれればいいのに。だから、それでもオジサンは嬉しいのだ、と開き直ってみせる。確かに、夜ごはんは誰と一緒に行ったの、なんて尋ねたい気もあるけど、恋人でも女友だちでも、僕はもう気にならないよ。初めはヤキモチを妬いたこともあったけど、もうそんな心配は不要なんだ。好きなように飛び回る君とメールしてるのが愉しい。
2009年 06月 26日
夜ごはん食べに行ったとか、その後にかき氷を食べておなかを壊したとか、アパートに戻ってきたら風邪気味だとか。そんな些細なメールをくれるようになったので、こっそりと僕は喜んでいる。あまり飛び跳ねて喜んでいけないのだとここで自分に言い聞かす。いつもの僕ならば「ウレシイよ」と書いた後に何か他愛もないことを付け加え直ぐに返信するだろう。でも、そのメールにあの子は間違いなく無反応で僕はショボンとなる。要するにあの子は僕からみれば気まぐれにメールを送ってくるだけなのだ。
2009年 06月 25日
ひょっこりメールをよこして「バドミントンに行ってきまーす」だって。バレーボールやスキューバダイビングもするし、カイロプラクティックに出かけたりけっこう忙しく駆けずり回っているのだ。ひとことで世代ギャップといえばそれまでだが、なかなか活動的だ。お茶に誘い出す間もないし、誘ったとしてもさらりと軽くかわしてしまうんだろう。それだから余計に猫みたいなマイペースに見えてくる。でも「猫」といわれたときはちょっとご気分を損ねたみたい。ネコ好きがネコみたいな子を好きになり。
2009年 06月 24日
メールには「熊野までドライブ!」としか書いてない。きょうは金曜日ですよ。いったい誰と出かけるというのよ。誰と一緒であろうと僕には関係ないのだから、知りたいくせに尋ねない僕の気持ちを知っていながら、出かけちゃったみたい。意地悪だよな、気まぐれだよな、ってますますそう思うこのごろだけど、そんなあなたに付いていけないくらいがちょうどいいわ。もう、夢中になんかならないからね、と意地を張ってみて「真っ青な海を僕にも分けてくれ」とメールしておいた。どこ走ってるかな。
2009年 06月 23日
素敵な音楽を聴いて、心はとろけるような恋を夢見ていても、夢から覚めると何故か何処となく淋しい感じが襲ってくる。やっぱし、こんなときにあなたにおやすみのひとことでも言えればいいのにな、なんて思っていたのかもしれない。あじさいの紫はちょっと好きじゃない。今日はいつもよりちょこっとブルーです。そんなメールをあてどなく書いてしまう。きっと受け取ったほうも困ってしまったかもな、とか思いながら夜が更けた。あくる朝、割と早くにメールが届いたのだった。あの日は金曜日やった。
2009年 06月 22日
僕は花を買うことなどなかった。貧しかったのが大きな理由だ。真っ赤な花を持ち帰って、部屋の片隅にちょこんと飾ることができるなら、どれほど幸せだっただろう。しかし、微かな香りを漂わすバラの花など、かび臭い独りの男の部屋には似合わないよ。花を贈りたい女の人だっていなかったし。そんな昔を思い出していると、真赤な花を君に贈れば、きっと君ならば君の素敵な部屋のどこかに僕の花を飾ってくれるだろうね。それは、窓辺の小さな花台だろうか。ダイニングのテーブルの上なのだろうか。
2009年 06月 21日
部屋に花を生けたくて花瓶を買ったことがあります。今でも我が家のどこかの棚の中で眠っているだろうな。一輪ざしではなく、バラの花なら数本ってところがちょうどいいくらいの、やや背が高くてスリムな真っ白の洋風磁器の花瓶です。背の高い花でもオッケーです。でも、花瓶に生けるってのは難しいなあとつくづく思います。鉢に植わったサクラソウとかスミレならば、それ自体が自分から部屋になじんでくれようとしているみたいな気がするけど。まして真っ白な磁器の花瓶。君のうしろ姿みたい…。
2009年 06月 20日
真っ赤なバラ。あの人はこの花を「慣れない花屋に立ち往生の男性が苦し紛れに選ぶもの」と言う。なるほど、花屋の店先で一番目立っているのも赤いバラかもね。我が家の庭がある日突然とても殺風景に見えたことがあって、僕は直ぐに花屋に行ってバラの苗を買ったのですよ。昔、学生時代に講義の合間に散歩をした大学の裏手の、綺麗な洋館が立ち並んだ蔦の絡まる煉瓦塀と苔の匂いのする石段が続く坂道を下ったその一角に、そう、大通りに出る手前に小さな花屋があったんだ。「その赤い花、ください」
2009年 06月 11日
近所を散歩していたときに、真っ赤なバラが咲いているのをみつけた。そうだ、子どものころ、初夏になるとうちの庭にも次々とバラが咲いた。毎日、それを切って母は僕に持たせてくれた。教室の花瓶はいつも赤や黄色のバラで飾られ、傍に近寄るとキュンと酸っぱいような切ない匂いがした。あのころは赤いバラを何とも思わなかった。だが、人を好きになるような年ごろになり、花を見て悲しい思い出がひとつ二つと浮かぶようになると、赤い花びらが愛しく思えるようになった。花を愛する女たちに弱い。
2009年 06月 10日
君と呼びかけ続けてきたが、これは恋文でも何でもないのでやめることにする。ときには君でありあなたであり、話によってはあの子でありオンナが…と書くこともあるかも知れない。さてふたたび、月が出ている。もしも、二人で海辺に腰掛けて月でも見上げながら佇むことができるならば--凄い妄想であるなと自分でも呆れるが、僕たちには恐らく何も話すことなどないだろうと思う。近ごろ感じるのは不一致なことばっかしで、じゃあ一体この子の何がいいのよと自問する。でも痺れてドキドキするんだ。
2009年 06月 09日
6月8日は満月だったのだろう。寝床に入って窓をあけると、心地よい風が流れ込むと同時に、まん丸の月が見えた。尾崎放哉が「こんなよい月を一人で見て寝る」と詠んでいるのをおぼろげに思い出し、真冬の月と違って屋根スレスレに昇っている夏の月が何とも控えめに感じられる。放哉は42歳で死んでしまった儚い人だが、彼は一人を如何に感じていたのだろうか。僕も今そこで月を見上げているときは一人だった。種田山頭火は「月が昇って何を待つでもなく」と詠む。彼も一人だったが、恋の歌はない。
2009年 06月 08日
たった1枚だけ写真が手元にある、といってもメールのホルダーのなかである。それは何かの拍子に送ってくれたもので、お父さんと近所に山菜採りに出掛けたときのツーショットの仲良しな写真だ。JRの線路がありトンネルが背景に写っている。大きなイタドリを手に持っている。実物はとても可愛いのにこの写真のこの子はオバサンに写っている。野球帽みたいなキャップをかぶりお父さんはハンティング帽。この二人が似ているかどうかの判別はつかないが、それは二の次で、貴重な1枚の写真なんです。
2009年 06月 07日
君が猫だと気がづけば僕の気持ちからヤキモチを妬く心などは吹っ飛んでいく。君はどうぞ気まぐれにお好きなように。君の愛らしい眼差しとふかふかした顎とすらりとセクシーな尻尾を想いながら、呼んでもニャーとも言わないツンとした猫様と寄り添う夢を見続けるだろう。遠い世界の人、別の世界の人なんだと--いや猫なんだと思ってしまえばひとつの恋が終わって、僕はそれを気まぐれな夢だったと思えるさ。でも僕がニタッとした訳がもうひとつある。君が凹んだっていうからさ。じゃあ君は猫が嫌いなの?
2009年 06月 07日
そしたら返事に「前に猫みたいって言われたことを思い出しヘコんじゃった。猫みたいに一瞬で懐にもぐりこんできて、かと思えばするっといなくなってしまうって」と書いてあったから、僕はうふふと笑ったよ。可笑しいからじゃない。やっぱし同じように君にジレッタイ気持ちと、おそらく相当の嫉妬心を滾らせた人がいたに違いない。ある日、君に恋した誰かは気がつくんだ。君は猫のように気まぐれで、その可愛らしさゆえに誰にでも好かれて、恋する人はそれが我慢できないけど、猫だと気づくのさ。
2009年 06月 07日
僕は手紙に「犬が好きですかネコが好きですかと尋ねたことがあったよね。今日はどういうわけかあなたがネコのように思えてね。憎たらしいけど可愛らしい。嫌いになりたいけど、抱っこしてしまう」と書いたんだ。君は猫のように気まぐれで、ちっとも僕の願いを聞いてくれないし、わがまま勝手でマイペースで嘯いているんだ。だから、恋心なんか寄せないぞ、好きでも嫌いでもないぞ、と考えていたことがそんな言葉になった。書きながら、君が途轍もなく遠い世界の人に思えてきて、寂しかったけど。
2009年 06月 03日
誰かが誰かを愛してる。その音楽を聴きながら綺麗な花の咲く高原へと君を乗せて車を飛ばして行きたい。愛してるなんて、まだ僕には言えない。朝のうちはどんよりとした雨模様だったのに、お昼を過ぎには雲が切れて陽が射し始めてる。窓から街を見下ろすと、ピンク色のツツジの生垣が鮮やかに目に飛び込んでくる。海もきょうは太平洋のほうまで見渡せて、神島の三角に尖った山ともくっきりとわかる。海を見ると海へ行きたくなる。でも…。海は嫌いだ。ひとりで海に行くなんて嫌だ嫌だ。寂しくなる。
2009年 05月 29日
誰にでも愛想がよくてにこやかで明るいから好かれるのよ。だからストーカーに遭いやすいの。気をつけてね。僕も一時プチ・ストーカーになっちゃいましたが。だから僕はメールに「返事はいらんよ。好きかと聞いたら好きだとだけ言ってくれ」と書いて、今日は「そんな気障なセリフで終わらせてくれ」って締めてるのさ。でも、その後すぐに思いついて娘とのツーショットを送ったけど、君も素敵なツーショットを送り返してくれて、もう、僕はそのあとドキドキでした。傍にいる素敵な人に少し嫉妬よ。
2009年 05月 28日
「きょうのあなたは一段と綺麗ですね」と、誰が言ったか。僕も真似をして、しかもそれを君に言いたいね。昨晩、夜更かしをしたのかい、彼と遊び過ぎたのか。頬紅が赤すぎない? 眼が腫れてない? そう尋ねてみたい朝がある。「頬紅のやや濃すぎても嫉妬かな」君はメガネをかけて、それも、昨日と今日は別のメガネで、銀のピアスが冴えている。ふーん、少し自分を粋がって見せて、悪い子ぶっているんかい。メガネが良く似合うの、隠せない。うつむき加減で微笑む顔が、ばら色の天使に見えてくる。
2009年 05月 28日
桑の実の酸っぱうまいか、片思い。ふとそんな句が僕の頭の中に自然に、しかもリズミカルに浮かんだ。ちょっと覚えておこうっと。酸っぱい顔が君は良く似合うよ。前にも言ったけど、ちょっとベソを掻いたような泣き顔が素敵なんだよ。ふくれっ面じゃないんだ。今、涙が乾いたばっかしっていうそういう感じさ。せっかく綺麗にお化粧もしたのに、髪だって綺麗にしたのに、泣き腫らしてしまった君の顔は子どもみたいになってしまってる。でもね、その顔が、ほんとうは可愛いのさ。酸っぱい顔なんだな。
2009年 05月 26日
ヒヨドリの写真を見つけたの。身近な鳥だけど意外に近くで見ないよ。梅や桜の蕾を食べていってしまったちょっと小憎たらしい鳥だな…という印象だけど、写真で見るとシャキッとして素敵なヤツだ。僕の友達のひとりに素敵な子がいるんだ。そう!前に書いた「プチハネのベリーショートの茶色いボブ」の彼女さ。彼女は可愛いくせにちょっとボーイッシュで、そのくせ銀のピアスがよく似合う。ヒヨドリみたいなイメージをどこかに持っているかもしれない。僕は鳥のような子が好きなんだよ、きっと。
2009年 05月 26日
僕は「鳥のひろちゃん」という連載を長い間書いて、それが60回を越えたところでパタッと終えてしまったわけですが、半分自伝・半分夢の物語でした。彼女は私の人生を大きく変えてしまった一人であることは間違いなく、彼女の魅力が何処にあったのかは未だ謎のままだ。一人の女を自殺未遂に、そして一人の男を粉々にしてしまった悪魔のような女だった。いいや、君とは全然関係ないことなんだけど、少し誰かに聞いて欲しくなっただけさ。その彼女が鳥のイメージなんです。ヒヨドリを見て思い出した。※写真は尾鷲市HPから
2009年 05月 25日
ちょうど今、潮が満ちてくる時刻ですね。波打ち際に腰掛けて夕焼けに染まる山並みを背に太平洋へと続く湾を見ていたことがあるんだ。刻々と時間が過ぎるうちに僕は海に浚われてしまうような錯覚に陥る。そのうちこの波が僕たちを包んでしまう。ザザザ、ザザザと繰り返す波音を聴きながら、何も言葉を交わすことなく海を見つめて、空を見上げている。やがて、西の空の夕焼けが東の空へと移ってゆく。燃えるような鮮烈な赤色から紫がかった赤へ。今、君の家の窓からもそんな海と空が見えるのかな。
2009年 05月 24日
夏はそれほど好きな季節じゃないけど、君には夏がよく似合いそうで、夏が来るのが待ち遠しい。オデコに汗を滲ませてアルプスの少女ハイジのように駆け回っている姿を思い浮かべると、小さな身体でありながらスポーツ選手のような機敏に動く姿がカッコいい。そう!ボーイッシュなシルエットに乾いた声が弾けるのが聞こえてくるようだ。きっと僕は君に声などかけられるわけもなく、遠くからじっと見つめているんだろうな。特別に何かを話しかけることもいらない。見てるだけさ。それでいいんだ。
2009年 05月 23日
「今だけは君に夢中にさせてくれ」別にドラマのセリフじゃないですから。いつもそんな気持ちで僕は手紙を書いている。ずーっと前からメルアドだけでも聞き出したいって思い続けていたときに、他愛ない話のついでにメルアドを知りたいと言ったら即座にオッケーしてくれて、僕のアドレスをボールペンで手の甲にメモしてくれた。ほんとうにメールくれるのかしらって心配だったよ。有頂天の僕は貰ったメールに立て続けに返事を書いてしまってゴメンなさい。メールには禁句があるんだ。告白はお預けさ。
2009年 05月 22日
また書くよ。ボーイッシュな君のこと。「プチハネのショートなボブのキミ」が好き。これはちょうどひと月ほど前に僕がノートに書いた落書きの十七音です。けっこう、イカシテル茶髪だから、その雰囲気は大好きです。全然お洒落じゃない僕でさえも、そんな跳んでる君を連れてドライブに行きたくなります。ツツジがピンクの花をいっぱい咲かせている高原で乾いた風に吹かれると、きっと君の茶色い髪がサラサラと風にふるえる。ツツジの花びらって美味しい蜜があるの知ってますか?すごく甘いんだ。
2009年 05月 21日
僕の高校は高台にあって市の外れにある海が見えた。遠くに浮かぶタンカーを三階の教室から眺めるのが好きで、受験が迫ったころには、理由もなく音楽室から海を見たものだ。陽炎に包まれた地上に、大型船が浮いているように見えた。君が生まれたところは港町だから、学校から坂を駆け下りれば港に行ける。田舎かもしれないけど素敵な町だよ。君は海で生まれた子なんだなと、その街を訪ねてみて初めてわかったよ。だから、海のなかにぐいぐいと潜って行くことが平気なんだね。お魚みたいですね。
2009年 05月 20日
あれから十日ほどが過ぎただけだ。まだ緑色をしていた麦の穂があっという間に色づき始めている。水田と隣り合わせで麦畑の穂が揺れる姿を見ると真夏の暑さを思い出す。五月も下旬になると、畦道の蛇苺や桑の実を摘んで食べたものだ。黄金色になってきた麦畑の穂をちぎって髪に差していた子もいた。君の生まれた町は山が入り江の間際まで迫り、米を作るような平野はなかった。僕は、君の都会風のお洒落な姿が好きなんだけど、君は自分で、私は田舎の子なのよ、と言う。うつむき加減が可愛い。
2009年 05月 18日
この小さな旅で僕はひっそりと入り江に佇むことの愉しみを知った。それは感動的なものを何も求めずに特別な期待もなく吸い付けられるように入り江の淵を辿って湾の外れの小さな集落へと向かっただけなのに、そこには胸に手を当てて鼓動の音を聴くように息をこらえてじっと身体で感じ取るような驚きと感動が満ちていた。それをプレゼントしてくれた君に心から感謝したい。居間のテーブルに座ったままでテラスの窓から湾が一望できるなんて、そのときの僕の気持ちは言葉にできない。
2009年 05月 18日
或る女性に「火遊びの恋とまじめな恋の違いは?」って訊ねられたことがあるんだ。僕に火遊びなんていう言葉はないなあ。いつも真剣でまじめな恋です。でも、まじめでであればいいというものではないのよね。してはいけない恋とか絶対に実らない恋もあるのよ。そういう恋を恋と呼ぶのは辛いなあ。人を慕って想い続けてもやがて儚く忘れねばならないこともあるし、人から奪っても奪われても、それはいけないんだ。好きになるということは、そんな危険が潜むのを知らなくては。盲目はダメだ。
2009年 05月 17日
風が誘ってくれたこの道を僕はひとりで駆けてみる。君が走ったその道をきょうはひとりで駆けてみる。まあ、そんな夢のようなことを考えてみても、僕は風になんかなれないんだよ。風になったら鳥になれたら、その夢が叶うときに僕は限りなく自由で、誰にも束縛されずに空を行き来できるんだろうなあ。でも、大事なことがもうひとつだけあるんだ。それは、僕が行くところに君を一緒に連れ去れるかどうかということなんだ。大事さ。君にずっと傍にいて欲しい。だから、手をつなごう。
2009年 05月 17日
バイクに乗っていると君のことを忘れているよ。風を切って走っていると爽快だから、君を背中に乗せて走れれば最高だろうになあ、なんてことは考えるけどね。海が見えたら君を思い出して、そのときだけは君のこと想って風の中でいっぱいの深呼吸をするのさ。風になりたいなんて気障なことは言わないよ。さざ波の上を自由に吹き渡るのもいいけれど、目を細めて湾の入口の方角を見つめている君の傍をそよそよと吹いていたいな。僕は風だよ、風なんだ。風になって君の髪を揺するんだ。
2009年 05月 16日
君のことをいち早く知ろうとすれば、例えば誕生日を聞いて星座の話や血液型の話をして、社交的やとか几帳面なタイプなんやぁーなどとワイワイとやるのがフツーなんだろうけど、僕は君にそんなことを聞く切っ掛けもなくて、いまだに年齢も正確に知らないんだ。もちろん君だって僕の事には無関心で何も知らないとは思うけど。そんななかで、一度思い切って尋ねたことがあったんだ。猫が好き?それとも犬が好き?って‥‥。昔は犬かなあー、今はちょっと猫かな、と君は言ったね。
2009年 05月 16日
お酒をやめている。といってもまだ1週間も過ぎていない。何日やめようとか、いつまでやめようというような目標はない。この前に君に会って、その日に晩酌をしたかどうか記憶さえ曖昧だが、そのころから飲むのをやめることにした。僕の場合、こうしようと決めてもとても意思が弱く、弁解・言い訳が次々と出てきて、いとも簡単に意思は崩れ去る。僕にとってはそれが当たり前のことなのだが、あることとお酒をやめてみることにチャレンジしよう思い立った。理由は至って不純なんだ。
2009年 05月 16日
君のイメージを抹消するなんてできるはずもない。嫌いなところが見つかったとしても、それはドミナント・ナインス・コードのように、僕の心にすべてプラスに響いて来るんだ。嫌いなところなんてありもしない。でもね、もうメールはやめるよ。君の悲しくて忌まわしい過去の話のその1%にも満たない一部を聞いてみてわかってきたことがあるんだ。それは、君と同じ視線で同じモノを見つめてみたり感じてみたりしてみたいと僕は思っていたということ。少し近づけたからそれでいい。
2009年 05月 16日
「私、彼氏からのメールでも1日1通が限度だって気づきました」とメールに書いていた君へ、この僕の縺れた心を一生懸命に解きほぐして送ろうとしても、それは間違いなく罪悪となり、世にいうストーカー行為になってしまうのだ。もがけばもがくほど、足は泥の中に沈んでゆくのだ。わかっているのに自分がコントロールできない。縺れた糸のような自分の心を見つめてみると、いったい、そこには何があるのだろう。いっそう、君のことなど嫌いになって頭の中から抹消すればいい‥‥
2009年 05月 14日
入り江という言葉を使ったけれど、実際にあそこは入り江ではなかったかもしれない。ざわめく娑婆の騒々しさから解放されてひとりでいたいと思うとき、人は入り江のような静かに閉ざされた空間に憧れるような気がする。壊れてしまったキミの心を癒し快復させるものが何か、僕にわかるならば僕は最大限にそれをキミに捧げるよ。でも、悲しきかなそれが何なのかわからない。僕は無力だ。僕はキミのところへとは戻ってはいけないのだ。痛いほど失敗を繰り返し、僕は許されていないのだ。
2009年 05月 14日
恋文篇をいったん「その17」で終わることにします。それはこの恋が終わってしまったということではありません。また次のステップへと僕自身が変身していかねばならないからです。君は壊れてしまったけど必ず元に戻れる。僕も同じように壊れてしまいそうだったけど、新しい僕をめざす。君も新しい君を築き上げるためにリフレッシュして下さい。詰まらないメールはもう書かない。恋文・千夜一夜も名称を「恋文」から「夢色」へ。
2009年 05月 13日
夜が明けて日が昇ったら僕は君に最後のメールを送るだろう。もう今は、がむしゃらに書く意味も必要もなくなったから。僕の心は必ず届いたと思っていいね。だから、メールはもう、書かない。君がメールで「○○さん」と僕を呼んでくれるそんな些細なことが喜びで、ひとつひとつの仕草がお気に入りです。今はしばらく会えないけれど、しっかりと記憶にとどめたから大丈夫です。僕の家から海までは遠いけれど、君を思い出すことなんて簡単さ、と強がらせておくれ、今日は。
2009年 05月 13日
ねえ音楽の話をしよう。ベートーベンのピアノソナタを聴いても交響曲を聴いても、チャイコフスキーでも、コンサートホールへ出かけると演奏中に必ず泣いてしまうんです。泣けてきますよ。年末の第九なんかもうボロボロと泣いてしまうので三階席の一番前でしかダメですね。あそこが僕の定位置です。ひとりで行きたいのですけど、君だったら誘ってみたいと思う。生まれてまだ誰も誘ったことなどがない僕だけど、君と音楽の話をしたいな。駅前のコーヒーショップがいいなあ。
2009年 05月 13日
僕の想いが届いている確信が欲しいと思うのだろう。だから、好きだと打明けて嫌いだからと言い返されたとしても、ある意味では満足なんだ。一番悲しく辛いのは、知らん振りなんだよ。でも、僕の心が届いていることさえわかれば、君と、たとえ月まで離れてしまったとしても、僕はめげないし不安にもならない。ほんとうの友だちには手紙なんか出さなくてもずっと友だちでいれるから。僕は君にこうしてここで手紙を書いている幸せを味わうよ。でも本当は返事も欲しいし来なければ切ない。
2009年 05月 12日
花屋になりたいと思っていたころがあります。若いときでした。全速力で思いきり走りきったら、そこには静けさがあるはずだ。その静寂の中でじっと僕は花を見つめていたいと夢見たのです。24歳で就職して、その職場での挨拶で「いつか、田舎に帰って花屋になりたい」と言ったのですが、仕事を転職して田舎に帰るときに同僚だった憧れのステキな女性が「田舎に行って花屋になるの」とポツンと話かけてくれたのを思い出します。天使だった。花を愛する人は無条件で大好きです。
2009年 05月 09日
君の視線を感じる。まさかその視線が僕のところで止まっていることなど絶対にないのだけれど、不思議な力を感じてしまう。まるで魔法の杖で恋の魔術をチチンプイプイとかけてしまうように、僕は君に惹かれていってしまう。そう!今ちょうどベートーベンの月光が第三楽章に入ったところさ。胸が高鳴り頭の中は真っ白になってゆく。少しうつむきかげんに何かを思案中だった君の一瞬のできごとで、過ぎゆく視線を僕は掴みたかった。
2009年 05月 06日
小学生のころ、母はいつも僕に庭の花を切って学校に持たせてくれた。赤いバラの花束を胸に抱きかかえながら、少し恥ずかしくまたちょっと自慢な気持ちで、僕は教室にいる先生に渡したものだ。大きな花瓶に水を張り花を生けるとき、駆け足で来た自分の心臓が静かになっていくのに気づきながら、新しいときめきが身体を痺れさせているの感じた。あの日、花を生け終えたあとそっと手を添えて花を見つめていた君を、じっと柱の陰から僕は見ていた。
2009年 05月 05日
全体の雰囲気がやわらかい人だと思う。だから、真っ赤とか真っ青というような色の服ではなくピンクとかうすい水色のような服を着ていると小柄な姿によく似合うのだ。そっとそこにいる静けさがいい。でも、心のうちは激しく一本気な面もありそうで、問答をしたわけではないけれど、キッパリとしているかもね。濃い紫っぽい服を着ていたときそれがステキで淡い色が似合いますねと声掛けたら、それって私にはこの色が似合わないってこと?って言われて。
2009年 05月 02日
恋じゃないよ。くれぐれも。ショートカットが好きなのはどうやら昔からのようで、跳んでるヘアースタイルってのも好みみたい。この子は、そんなにスタイルがいいわけでもないし、背が高いわけでもない。でも、傍にいるとそこに花が咲いたような明るさと元気が滲み出て来るのです。そういうものってのはその人自身が持ち合わせる天性のようなものなのでしょう。堅苦しい職場なんですが、そんな中でチョッピリ派手だが淡い色が良く似合う。
2009年 05月 01日
その髪型をボブと呼ぶって後で知ったよ。体中からチカラを吸い取るような不思議な魅力を感じさせたその子の声が透き通るようだったことと、甘えたように話す話方と、どうでもいい僕のちょっとしたデータをきちんと記憶している点などがすっかり気に入ってしまった。誰にでも好かれるステキな子だと分かっているけど、少しでも僕は話をしたいと思ったね。そしたら、この打ち明け話を聞いてくれた知人が、それは恋だなと言った。
2009年 04月 30日
僕ほど服装やヘアスタイルに鈍感な奴はいないと思う。御洒落という言葉は僕の辞書にはないのだ。でも、君に出会って、茶色い髪は今風としても、そして、耳まで見えるほどに短く切ってしまった髪も珍しくはないけど。アインシュタインが難問にぶち当たって苛立ちから頭をクシャクシャにしてしまったかのように、ハネハネにした(僕は爆発したみたいなと思ったけど)髪型に出会ったとき、この子、素敵な雰囲気だなってピンときた。さらに声が可愛かった。
2009年 04月 29日
昔、鳥のひろちゃんという物語 を書いたけど、あのときのあの子のなまえは「M」だった。無意識と思うけどそんな音の響きが好きなんだろうと思う。チーズのチのようにイ行のときは笑顔になれる。でも、あるときに気が付いたことがあるだ。Mさんの笑顔には泣き顔が隠れているんだ。それは、自分と闘っているんだろうなって思う。本当は芯が強くて責任感のある、でもホンワカな雰囲気も持ち合わせて明るい子。蓮華の花を髪に飾りたい。
2009年 04月 29日
昔、あるとき一度だけ、情熱的な恋をしたことがありました。好きになってはいけないという言葉が世の中にあったんです。でも、その人の不思議な魔力に私は惹かれていった。約束をした人の所へやがて行ってしまうのはわかっていても、どうしてもささやかな時間でいいからその人と話していたかった。恋なんだよと友人は教えてくれました。そんな恋はもうしません。だから、君が大好きだと言ってはいけなかったのです。嬉しいだけでよかったの。
2009年 04月 28日
屋上から海が見えます。霞んでいても割と遠くまで見渡せる。湾の出口の島まで見えますね。大きなタンカーも浮かんでいる。そう。今日は海の話をさせてください。君の名前には海という字があって、きっと、海が大好きなんだろうと想像してます。私はバイクに乗るので、海を見に行くことが多いです。いつもひとりですけど、風に吹かれて二人で海を眺めるなんてのは夢です。いつか君の古里の海を案内してもらいたい。話題に窮すかな。
2009年 04月 28日
いつか、昔、お昼休みに散歩に出かけて、海の見える秘密のその場所の話をしてくれた。そんなときでも君は泣き顔で「そうだ、君の笑顔はどんなときでも泣き顔だったんだ」と僕は気づく。ためらうように柱の影から君を追いかけた。再び君が戻ってきて、ステキな笑顔と出会えたこの一日が終わっていった夜は、ひとりでこっそりと乾杯をしたんだ。誰にも内緒にね。どうか、気障だと言ってくれ、お礼に好きだと言わせておくれ。
2009年 04月 27日
僕は夢を見たようにまどろんでいる。夢の中で石畳の坂道を歩いてゆくんです。一緒に歩く君のハイヒールの足音がコツコツと響く。見晴らしのいい高台へと細い散歩道は続く。そこにはお気に入りの公園もあって、森陰からはウェディングパレスの教会の尖った屋根が見える。坂道はやがて石段になって、一番上のベンチからは海が見える。空に浮かんだようにタンカーが見えることだってあるんだ。君は古里の海を思い出すのかもしれない。
2009年 04月 26日
珍しく夜更かしをしたあの深夜に、縺れる糸のその先を見つめようとしている自分に気付いたの。好きだとは絶対に言ってはいけないと硬く誓ったのに、ああ僕はなんて馬鹿なんだろうか。だから、この手紙を書き始めながら決めたんだけど、毎夜、200文字で終わらせる手紙にすることにした。さて、君にはもう会えないかも知れないとあきらめていた僕が、飄々と廊下を歩いて居る君を見て涙を滲ませてしまったのは、絶対誰にも内緒だよ。