第15話【花も嵐も】 利賀村への道<奥美濃>


富山県に利賀村というところがあります。

そこの蕎麦は格別に旨いのだという話をバイク仲間から教えられて知ってしまった私は、ずっとそこに行くチャンスを伺っていました。1992年の10月31日の朝、ふっと天の知らせがあって、テントなど一式とパンツを3枚を持って家を飛び出しました。

久しぶりの奥美濃でした。少しずつ道路が広められて、集落をバイパスするルートなどできて、奥美濃は開発されつつあるのを感じならの旅の始まりでした。

初めてこの地を訪れたのは1980年代の半ばころだった。平村には一軒のガソリンスタンドがありまして、そこで中学生ほどの可愛い娘さんがお店を手伝っていました。

久々にこの村に立ち寄ってみると、あのときの中学生が、子供さんを連れながらあのときと同じようにお店を手伝っていたのです。大きくなっていて驚か されました。実家の稼業を手伝いにきてるんだな、って思いながら、幾つかの思い出の余韻を胸に、私は利賀村への峠へと向かいました。

※これを書いている2005年にはその子どもさんも成人していることだろうと推測できます。

利賀村への峠は「山の神峠」といいます。このころの峠は、現在と違って旧道の凸凹ダートの道です。

おまけに奥美濃街道を北上してくる途中で雨が降り出し、山の神峠の中腹で雨足が最高潮を迎えていました。利賀村に降り立ったときにはもうヘトヘト で、身体も冷え切ってしまっていた。蕎麦を食べる「ごっつお館」などが天国に見えたのを思い出します。その天国に見えた蕎麦屋も閉店間際だったのですが、 色々と無理をお願いしてお蕎麦を1杯食べました。

蕎麦屋の前は小さな広場になっていて、トイレと背中合わせになっている休憩小屋が一軒ポツンとありました。

あっという間に日が暮れてきましたので、あの晩はこの休憩小屋で野宿をすることにしました。雨足は衰えることなく、バシバシと屋根に打ち付けてくる 雨粒が恨めしかった。せめてもの救いは、建物もトイレもとても綺麗だったことです。出来る限り屋根の下までバイクを引き込み、小屋の中の木のベンチで寝ま した。

朝、目覚めると夕べの雨が雪に変わって、村を取り囲む山は真っ白でした。村の人に尋ねて楢峠の方を目指しました。

まず牛首峠に向かって行き、道路工事中で指示で、途中から楢峠に方向を変えるルートを取りました。峠道は凸凹というだけではなく、電車の線路にある ようなバラストが一面に撒かれていて、タイヤが空転して坂道を登らない。見る見るうちに尖った石でタイヤが傷だらけになってゆくので、パンクやバーストの 心配もしながらの峠越えです。タイヤは新品だったにもかかわらず不安は募りました。谷の向こうの尾根の彼方まで峠道は続いていました。果たして行けるのだ ろうか。

あの峠が牛首峠だったんだいうことは、随分とあとになって地図を見て気が付きました。

楢峠は紅葉の真っ盛りでした。一部でダートが残っていましたが、牛首峠と較べたら凸凹はまったくありませんでしたので走りやすかった。

苦難や不安が多かっただけに、思い出深いツーリングとなりました。オンロード車だった私のバイクですが、これを機会にダートを走るようになり、テント持参でのキャンプツーリングも定着してゆきます。

あのころ、利賀村へと通じる道路はすべてがダートだったんです。そんな村がひとつくらい、日本のどこかに残っていて欲しいなと思います。