種田山頭火ゆかりの一草庵と其中庵を訪ねたことがある。どちらに行ったときも、人影疎らで静けさを独り占めできた旅だった。
1998年のゴールデンウィークのツーリングでは、まず四国に渡って松山市の一草庵に向かった。そのあと、フェリーで山口県へと渡り山口ユースホステルに泊まって、湯田温泉を巡って其中庵を訪ねました。
「汗が吹き出る静けさも独り占め」
などとひとりごとを言いながら其中庵を私は散策していた。見学者が少なく、騒々しさなどまったくなかった。
十分に味わったので「もう帰ろう…」と何度も思い、立ち去る準備をするものの、また引き返して其中庵の周りをぐるぐると回ったりしている。お名残り 惜しいのだから、何もしないでいるのが良いのに。時間の過ぎるのを惜しまず、佇み、いつものように、ひとりごとをぶつぶつ言いながら、ここを出発するのを ためらっている。
「桜の花は散っても咲いてるように見えるよ」
「誰も来ない方がいいね寂しいかい」
「いつもなら急ぐのにどうしたの」
などと自作が手帳に書き付けてある。
なかなかその場を離れない自分に腹が立つような気もするのだが、やっぱり帰るのが惜しい瞬間ってのがある。出発するタイミングを計りながら自分との対話が続くのだ。
「この柿の木が庵らしくするあるじとして」 (山頭火)
ただの乞食坊主だったのか、飲んだくれだったのか。
彼のどこに惹かれるのか。
自分でもわからないけれど、ほかのファンの皆さんだってきっとわからないのではなかろうか。
我々の心のなかに深々とその余韻を響かせ、また味わいを残してくれる作品をたくさん生んだ山頭火の故郷へ来て、山頭火という人の暮らしぶりに触れることができた。
これほど満足できた旅はこれまでにそう多くはなかった。