あの夏、のこと ─ 森立峠 ─

2006年 05月 04日


この日の夜は六日町のキャンプ場で過ごした。夜中に通り雨がぱらぱらとしたものの、静かな静かな夜だった。私は、この子の怖さと優しさを知りながら旅を続ける自分の優柔不断さが嫌だった。

でも、夜が明ければ、ややこしい考えごとはまた次の夜まで先送りすることにしてしまう自分が居る。そのことをふと思うと震えるように胸がどきどきすることがあった。

さあ、旅を続けよう。

JR只見線は、小出町から六十里峠という国境を越して会津若松市に向かう。六十里という名のとおり歩いて越えれば丸二日は掛かることになる険しい街道だった。

入広瀬村というところに道路工事の案内が出ており、会津若松にはゆけないと書かれていたのを見つけて、私たちは三条市の方へとルート変更をした。石峠という小さな峠を越え、栃尾市に行き、人面峠を越えて村松町から新津市へと走れば山形県もすぐそこだと考えた。

しかし、最初の石峠が工事中だった。

「人生、楽があれば苦もあるが、僕らは通行止めばっかしやな。二人を待っているのは苦難の人生かね」と、決して笑い飛ばせない冗談を言いあい、石峠が目前の道路脇で寝そべったり花を摘んだりして、長くてのんびりした休憩を取った。

石峠の迂回路は大平峠という。ここを走りながら、私は良寛と貞心尼のことを考えつづけた。

この峠を越えて川沿いにしばらく下れば枝道として森立峠がある。そこを越えようか、どうしようか。越えれば昨日から眺めている信濃川沿いに戻る。そしてそこをしばらく下ると良寛ゆかりの与板町に行けるのだ。

バックミラーには、子どものように無心で、丸く可愛い顔のひろちゃんが写っている。私がミラーを覗き込むのを薄々に感じながら、幾らか微笑むことがあるように私には思えた。

「私たち、二人、逃げ切るんだよ」

冷たく平気でそう言い切る彼女の怖さが一瞬、私を襲ったような気がして、この道を下ったら北へ急ごう、森立峠はいつか将来の旅のときに来よう、と決心したのでした。

つづく