あの夏、のこと ─ 阿賀川2 ─

2006年 06月 07日


ときどき、眩しいものを見つめるような眼差しで、ちょいとうつむき加減に私のほうへ顔を向ける。何を考えているのだろうか。「逃げよう」なんて言い出すオンナ。

「私の周りにもたくさんいるよ。旦那さんなんかいてもいいんだ。好きなんだから、棄てて一緒になるんだよ」
三流の恋愛ドラマではないのだ、と私は、無言で自分に言い聞かせている。二十七歳になった女が、四十を越したオトコに、こんな荒っぽい言葉を投げ掛け続けてくるのだ。

喜多方に到達するまで空腹を我慢できなかった私たちは、道ばたの食堂でラーメンをすすりながらどんな話をしたのだろうか。愛しているとか好きなんだという月並みな言葉を互いに交わしあったことなどは一度もなかったに違いない。

初めて出会ったときからここまでやってくる場面までの筋書きが、あたかもずっと昔から出来上がっていたかのように、劇的でドラマのような旅だった。恋人同志なら誰だって知ってることを、私たちは尋ね合うこともなく、いったい何を二人の依りどころとして見つめあい、抱き合い、触れ合ってきたのか。

私はみちのくに踏み込んでしまっている。その空間の中で、頼る術のない恐怖が私に纏わり着いてくるような気がする。

棲み家が遠ざかってゆくに連れて、このオンナといったいどこまで行ってそのあとどうなるんだという不安と、この子の向こう見ずな勢いと、この子が持って生まれてきた生き抜こうとする動物的な執念のようなものとが、私をビクビクさせた。私は迷っていた。

遊びじゃないけど、終わりにしなければ、二人ともが不幸になるかもしれない。いや、そうはっきりと思ったわけではなかったのだが、私はそう胸に秘めながら苦しんでいた。

阿賀川には漕艇の練習場があった。ボートを漕ぐ若者がなぜか羨ましく見えた。あの子の青春時代の話を聞かされた夜のことが甦った。あのとき、こんな弱い子なんだから私が救ってやろう、と思ったことは確かだ。バックミラーに写る彼女の笑顔はその昔から全然変わらないけど、別れなくてはならないのだ。

いったい、あの子の何が、どこが、怖いのだろうか。その答えを胸のうちで言葉にしないまま自問自答が続く。

大空を悠々と飛ぶ鳥のような清清しさと、獲物を発見して急降下する素早さのような素振りと、ひとりで夕焼けに背を向けて森を見つめる姿が、ガラガラと私の記憶の中で掻き混ざる。

あの子には、嫉妬心というものがあるのだろうか。そういう情念を持たずに、後先も考えずに、私を奪ってしまおうとしていないだろうか。

つづく