冬枯れの道…

2006年 12月 04日


プラタナスの枯葉舞う冬の道で
プラタナスの散る音に振り返る
帰っておいでよと
振り返っても
そこにはただ風が
吹いているだけ

果たして、プラタナスの葉が風に舞い上がるのは冬なのだろうか。北山修が綴ったような風景は11月から12月に掛けての、寂しい季節ではないか。それを彼は冬と呼んだのか。それとも、冬にはプラタナスの樹に葉などなく、したがって舞うことはありえないけど、寒くて悲しい冬に枯れ葉が舞う風景を彼は思い浮かべたのだろうか。

真っ赤に紅葉して有終の美を飾るように赤く燃えて散りゆく紅葉や、風の音にも揺すられることなく静かにゆらゆらと舞い落ちる銀杏は、師走のざわめきが来る前に自らが絶えてゆく。

北山修はそのことを知っていながら、プラタナスの大きな黄色い葉が舞う静かな時間を「冬の道」の向こうに思い浮かべてうたったのかもしれない。

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私は、ひろちゃんからのメールを何度も読んだ。そして、アパートの近くの街路樹がさぞかし綺麗に紅葉しているのだろうと想像した。

夏がきて、夏が終わって、私たちは昔からの知り合いのように戻ってゆく。

メールの返事を書く。「おはよう」というメールを送って、「おはよう」という返事を読む。それだけの日々が過ぎてゆく。

枯れ葉の舞うあの街へもう一度行ってみたい、と切々と思いながら、それを自らで拒否して深まる秋を送るのだった。すべては秋の、笑顔で別れたときにすでに終わっていたのだ。

恋人というものに別れなど有り得ないと信じていた。どうして一度好きになった人を嫌いになれるものか。人はそう簡単に好きなものを、理屈で嫌いになれるわけがない。あの子が私から遠ざかってゆくことなど想像もできなかったのだ。

だが、別れという言葉の意味を本当に私は理解していなかった…。

(続く)