すばる

霧のように寂しい時雨だった。不思議にもその中へ散策に出てみたくなった。

生垣の脇にある棄てられた石臼に水が溜まって、薄氷をはっている。あとで部屋に戻ったらあの子に教えてやろう、と考えて嬉しがってはしゃいでいる私がいた。

少し裏山に登ってみることにする。山里の小さな旅館だと最初から思い込んでいたが、実は大きなお寺で、奥へ歩いてゆくと、斜面の途中には古代の中国に行ったような本堂や山門があった。山門までの石畳や階段を登りながら、谷の向こう側の斜面を見た。霧が漂う。川面を流木がゆっくりと流れるようにその霧も動いてゆく。針葉樹林帯の尖った樹木にクリスマスの雪のようにまとわりつきながら流れてゆく。

雪に変わるかもしれないな、と思った。寒さは身に沁みてはこないものの、風がやみ空が随分と重く感じられる。この先に行って雪になったら身動きが取れなくなるので、今日の出発は諦めてもう一泊ここに世話になろう。ひとりごとを呟きながら山門附近をぶらぶらと歩き回った。

登り窯のように勇壮に続く土塀があった。所々塗土が剥がれ落ちて、埋め込んである竹の骨が露出している。霧雨のせいでやや湿り気味だが、じっと忍んでいるように見えた。

色褪せてしまった檜の柱に、小さな字で落書きがあるのを見つけた。けしからん奴がいるものだという怒りを抱きながら、その文字を追ってみた。

落書きには
 南の空にすばるが見えるぞ
 あごを前に出して首をいっぱいに、のけぞるように後ろに曲げて
 空のてっぺんを見上げると
 星のかけらが六つほど見えるよ
 この塀にもたれて二人で見上げている
 一月二十二日
と書いてあった。

今夜はあいつと星を見ようか。そんなことを思ったのことなどあっただろうか。

星が見たいのか、抱きしめたいのか。わからない。私だってわからない。

〔次章に続く〕