ハイジのような人

2006年 02月 03日


車を飛ばせば1時間で行けるのだ、とは、1度たりとも考えたことがなかった。車なんてのは現実離れした代物だったからだろう。

電車を降りて駅前のスーパーで買い物をし、暗く寂しい路地をしょぼしょぼと帰る暮らしをしながら、この路地は同じ都会の網の目の片隅と片隅で、不思議な糸の ように私たちを結んでいてくれる。その不安定さが、あるときは安心感と切なさに変化し、私たちを危なっかしく繋いでくれているのだ。漠然とそのように私は 考えていた。そしてもうすぐ、自分の手で新しい生活を拓くのだという情熱に燃えた私も居た。

会いたい、と繰り返し電話で話しても、あの子 は、きょうはダメ、としか答えない。そこで、電話を切らず、何かしらの話を私は続けた。何もしなくてもいい。ずっと傍にいたい。戸を開ければ声を掛けられ るところ、いや、ちょっと走ればドアをノックできるところに居たいと、電話をかけながら切々と思い続けていたのだ。

彼女は電話の途中で
「ちょっと、待ってね」
と言って席をはずす。
「…」
「ねえ今、何してたの」
「お風呂のお湯を張ってるの」

四畳半とキッチンだけの生活をしている私にすれば、アパートにお風呂や、冷凍庫の付いた冷蔵庫がある暮らしはユートピアのようだった。そういう部屋で思う存分あなたと語り合うことができるならば、それ以上の甘い暮らしなど何もいらない。そう私は考えていた。

この世に別れ話なんて実在しない、あれはみんなドラマの世界の話だ。愛してしまった女の人が自分に付いて来てくれないことなど、どんな深い事情があれども有り得ない。私の今のこの気持ちがあれば必ず通じるのだ。あのころは真剣にそう考えていた。

「私がこんな贅沢な部屋にいるのは、兄が今、中国に出張中だからなのよ。私には郡山に母が居ます。私は母と暮らすのが宿命なの」

あのころ、ひとりの部屋で暗闇を見つめて考え続けることに、私は孤独を感じなかった。あの人はハイジのようにカラケラと笑った。あの声がいつも心で甦っていたのかもしれない。