長野県上田市の郊外に「無言館」という戦没画学生慰霊美術館があります。今では新聞や雑誌などで紹介されてすっかり有名ですが、私が初めて訪れたときは開設後一年余りで、人影は疎らでした。
この美術館は、村山槐多らの作品を集めている「信濃デッサン館」の窪島誠一郎さんが私費を投じて分館として建てたといいます。画家を目指していなが ら戦争によって命を絶たれてしまった人たちがありました。彼ら彼女らは、志を半ばにし国家の犠牲になっていったのですが、そんな人たちの生前の足跡を追 い、館長の窪島さん自身が全国を巡って集めた作品を展示しています。
建物はコンクリートを打ちっぱなしにしたような質素なデザインで、美術館の周辺も近代的な塀で囲まれているわけではなく、雑木林に埋もれて丘の上の森の中にポツンとありました。
あと十分、あと五分と時間が迫る中で描いた恋人のポートレート。戦争から還ったら続きを描くから、と言って出征した作者は戦争の犠牲になって還らぬ人となってしまう。
絵画はもとより手紙、画具、写真、死亡通知なども展示しています。それらの作品や遺品は生きており、若々しく逞しさが漲っていました。それは確かに未熟かも知れないけれど、作品を絵描くことへの情熱を感じます。
見学者の中にはその作品を「重い」という人があるそうです。しかし、この程度で重く感じではいけない、もっと事実を見つめなきゃいけないのではないか、と私は思います。
母や妻、あるいは友人などの手により絵画は家の奥深くにしまってあったことでしょう。もう二度と取り出して見ることもないかもしれない。でも、心の 片隅にしまいこむと同時に、実像として残すことがひとつの使命であるのだ、と諦めきったように暗くて冷たい場所で時間が過ぎるのを待っていた遺品たち。そ れらが光のあたる美術館へと出てきたのです。
すべてがかなり損傷しています。絵の具が剥がれ落ちている。綺麗な額縁に飾られてはおらず、質素な枠に支えられ冷たいコンクリートの壁を背に掛けら れてある。つまり、これこそが作品の持つ主張であり彼らが本当に訴えたいことなのかも知れない。死んでいった画学生の息づかいが届いてくるような気がしま した。
コスモスを優しく揺らす風が吹くころに、私はここを訪ねた。太平洋岸の平野では稲刈りは終わっていても、ここ信州の塩田平を見下ろす高台からは、黄金色の稲穂が、大海に波打つうねりのように輝いている景色が見下ろせる季節だった。