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むてき 1号

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 私が考えていることは、どれかの書物に書いてあります。オリジナルの発想など、あるはずもないと思っています。ただ、いつしか、書物等から得た言葉が、自分にしっくり合うようになって、あたかも自分で発見した言葉かのような気になってくるものです。
 
 私が何をどのように考えているのかを、言葉にしてみようと思います。正しいかどうかではなく、私は、今、このように考え行動をしています。賛同して欲しいと願っているわけではありません。反対意見は、大歓迎です。私の過ちを正していただく意見は、大歓迎です。これらは、私の「今」の考えであって、気づきがあれば、変化するものですから。
 
 世の中には、愚痴ばかり言っている人がたくさんいます。愚痴を言って現状がより良き方向に向かうのなら、私も愚痴を言います。でも、そういうわけにはいきません。そりゃあ、私も時には愚痴をいいます。やり切れない時がありますから。でも、極力、言わないでおこうと思っています。
 
 愚痴を言っている人は、辛いと思います。そこから先へ進めないのですから。愚痴を言っている人は、自分だけが我慢をしていると思っているのかも知れません。もし、その人が異なる環境に属して、愚痴を言わなくなったとしたら、その人のまわりの人が愚痴を言っているのかもしれません。
 
 愚痴を言っている人は、その境遇におかれているのが、自分の意志ではないと思っているのです。すべては、自分自身で選択しているということに気づいていないのです。
 
 仕事が辛い。辞めたい。でも、家のローンがあるから辞められない。宝くじが当たったら、辞めよう・・・。立派な選択です。すべての条件を考慮して、辞めないことを自分で選択しているのです。自分の意志で決定しているのです。何事においても、そうです。すべてのことは、自分自身が選択した結果なのです。自分自身が選択した結果に対して愚痴を言うという選択をし続ける限り、先へは進めません。
 
 私たちは、自分で選択をして公教育に携わっています。公教育とは、古い言葉で言えば、「お国のため」です。どの国の公教育も、自国のために行っているのです。だから、自国にとって有利になるような内容を教えています。歴史など、見方を変えれば、何が正義か分かりません。たとえ史実と異なっていようが、自国民の尊厳を失わせるような公教育を、普通は行わないでしょう。
 
 日本の公教育のシステムにおいては、文部科学省が大きな影響力を持っています。文部科学省を悪く言う人はたくさんいます。マスコミもそうです。市民運動を否定するわけではありませんが、「それなら俺が文部科学省へ勤めて日本の教育を変えてやる」という人に、お目にかかったことがありません。文部科学省の発想は、いつも間違っているのでしょうか。学習指導要領を熟読して授業をしている教師がどれほどいるのでしょうか。ほとんどはマスコミに踊らされているだけではないのでしょうか。かく言う私も、熟読などしていないので、強くは言えませんが。
 
 たとえば、「生きる力」。これなどはマスコミに踊らされた典型でしょう。ほとんどの教師が、自分なりに解釈した「生きる力」を育もうとしました。公教育でありながら、日本中、ばらばらの「生きる力」です。最初、文部科学省は、「生きる力」を定義していました。「確かな学力」「豊かな心」「健康」この3つをもって「生きる力」という、と。挨拶ができるようになることや履歴書が書けるようになることが「生きる力」だ、などと文部科学省は言っていません。
 
 日本の公教育のシステムを理解して公教育に携わることを自分で選択しているのですから、どういう教育を行うべきなのか、一度確認する必要があるでしょう。

 

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