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風に訊け 22号

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楽天的な生き方について
 
 だれもが、毎日楽しく生きていきたいと願っているはずだが、あることが起こったときに、落ち込む者とそうでない者に分かれる。それまでの体験が異なっているし、状況の把握の仕方も違う。細かいところまで気のつく人と、何も気づかない人とでは、感じ方が全然違ったものになるのは当然だ。だけど、原因は、それだけではない。その人の考え方に大きく左右されているように思う。
 
 いつも自分が悲劇の主人公であるかのごとく、物事すべてを悲観的に判断する人がいる。自分という人間はダメな奴で、人は自分のことをよく思っていないし、何かが起これば、自分の責任で、これから起こることは、きっと悪いことに違いないと。そうして彼らは、毎日苦しみ続けている。人は、彼らが思うほど彼らのことを意識していないのに、常に人から見られていると思い、人と比較して自分は劣っているから、もっとがんばらなければと考えてがんばってみても、優越感を感じられず、劣等意識が大きく膨らみ、どんどん落ち込んでいく。
 
 逆に、何事に対しても自信をもっている人がいる。鏡を見れば、自分は素敵だと思い、人には実は大きなお世話だと思われていても、自分は良いことをしたと思い、「最後には何とかなるさ」と失敗を恐れることもない。それなりに悩みはあっても、そうは見えず、毎日楽しくやっている。 僕が高校生の時の文化祭で、加藤 諦三(たいぞう)の講演の中に、彼が担当した患者に関して、こういう話があった。「先生、今日は2人の女性から好かれてしまいました。どうしたらいいんでしょうか。」「どういうことですか。」「実は、図書館である女性に会って、しばらくすると、別の女性に会ったのです。」「彼女たちは、何かあなたに言ったのですか。」「いいえ、何も話をしていません。」「それじゃ、どうして好かれたとわかるのですか。」「そんなものは、目を見ればわかります。」と。
 
 一般的な状況では笑い話だ。でも、彼は、いきなり2人の女性から好かれて(?))困ってしまったけど、好かれたと彼が勝手に思うだけであれば、そのことによって、彼女たちに何か実害がおよぶわけではない。彼は彼自身にとって、非常に都合の良い解釈をしたわけだけど、どのような解釈をしようが、間違った解釈で何かの行動を起こさない限り、世の中の状況には、何ら影響をおよばさないということになるのではないか。例えば、2人の女性が話をしていて、自分の方をチラッと見てクスクス笑ったときに、たいていの人は、嫌な気分になる。たまたまこっちを見ただけで、全然関係のない話をしていたかもしれないのに、「俺のことバカにしやがって」とか「どうせ俺はカッコ悪いよ」とか、自分に関係があると解釈する。だけど、これは自分の勝手な解釈であって、自分で自分の気分を害しているわけだ。自分に関することを話しているわけではないだろうと思えば、何も気にならないし、自分に関係しているような気がするのなら、実際に彼女たちが、悪口を言っているのかどうかが分からないのだから、「俺のことカッコイイと言ってるのかな」とでも解釈しておけば、気持ちよくいられるわけだ。そう解釈したところで、だれかに迷惑がかかることにはならない。このことは、僕にとって大発見だった。
 
 楽天的に生きたいのなら、自分勝手に状況を解釈すればいい。つまり、真実がわからないことは、自分に都合のいいように考える。間違った解釈で行動しない限り、世の中は何事もなく流れていく。志望大学に合格するかどうかは、今は分からないのだから、合格すると思って楽しくやっていても何ら問題はない。ただ、これは、その時がくればはっきりすることだから、不合格だった場合は、その時まで気分良くいられるだけのことになるけど、今からずっと不合格のことばかり考えていて、やっぱりだめだったのかとさらに落ち込むよりは、マシなんじゃない?
 
 

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