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風に訊け 24号

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概念について
 
 ネコを見れば、だれもが、それがネコであることが分かる。たとえ、大きさや毛色や尻尾の長さが異なっていたとしても。いったい、人は、何を基準にそれをネコだと判断しているのか。イヌやウマとは、どう違っているというのか。これは、頭の中に「ネコ」の概念があって、それに照らしてネコかどうかを判断しているのだろう。しかし、僕が描く「ネコの概念」と、君のそれとは違っているかも知れない。同じかどうかは、言語を仲立ちとしなくてはならないが、その言語の語句について同じ解釈をしているかどうかが分からない限り、いくら言語によって伝えたところで、厳密には、僕と君の頭にある「ネコの概念」が、同じかどうかは分からない。

 子供の本の中に、ネコのような耳をしていて、尻尾が猿のように長い動物の絵が描いてあった。その絵の横には、「アイアイ」という歌の歌詞が書いてあった。「アーイアイ アーイアイ おさ―るさ―んだよ―」という例の歌だ。その時、僕は、この絵を描いた人は、サルというものを知らないんだろうと思った。おさるさんの歌に、どうしてこんな奇妙な絵を描いたのだろうかと。僕の「サルの概念」には、ちっとも当てはまらない絵だった。何ヶ月か過ぎて、あの絵とそっくりな写真をみつけた。その写真の説明には、その動物は「アイアイ」であるとあった。その瞬間、僕は理解した。「アイアイ」という歌詞は、単なるかけ声ではなくて、サルのある種類の名称だったんだということを。歌は丁寧過ぎるほど説明している。「アイアイ(は)おさるさんだよ」と。そこで、僕の「サルの概念」が少し変わった。
 
 物事を認識するのに、人は、概念を用いる。いろいろな概念は、どのようにして形成されるのだろうか。言語によって形成されるのか、形成されたものを言語で理解しようとしているのか。
 
 娘が、まだしゃべれなかった頃、ビニールでできているゾウのジョウロを買ってきて、お風呂で遊んでやった。100円の全身真っ赤なゾウで、鼻から水がシャワーとなって出てくるヤツだ。ある時、絵本を一緒に見ていると、ゾウの絵があった。彼女は、それを指さして、何かを伝えようとした。その絵は、マンガチックなゾウで、もちろん色は灰色だった。彼女の伝えようとしていることが、なかなか理解できないでいると、彼女は癇癪(かんしゃく)を起こしそうになった。まさかと思ったけど、お風呂の赤いゾウのことかと尋ねると、ようやく落ち着いた。言葉をどれほど理解していたのかは分からないが、そう尋ねることで、僕が彼女の伝えたいことを理解したことが、彼女には分かったのだろう。つまり、彼女の頭の中には、「ゾウの概念」ができあがっていたということになる。色が違っていても、形が違っていても、「ゾウ」は「ゾウ」なのだということが理解できていたのだ。「ゾウの概念」がどのようにして形成されたのかは、分からない。彼女なりの言語があったのか、映像として理解していたのかは分からないが、「ゾウの概念」があったことは確かだろう。(単に、鼻が長いということだけを理解していたのかも知れないが・・・。)
 
 人が人を認識するときは、どうしているのだろうか。A君を見れば、A君だと分かる。なぜだろうか。どこをどう判断して、その人がA君だとわかるのだろう。目だろうか、鼻だろうか、もし、どこかの特徴で認識しているとしたら、その認識の根拠となる部分を隠してしまったら、だれだか分からなくなるのだろうか。それとも、A君を認識するための「A君の概念」には、言葉で表せないくらいに細かい情報が詰まっているから、認識の根拠は無数にあるのだろうか。
 
 僕は、人の顔や名前がなかなか覚えられない。これは、たぶん、すぐにその人の概念を形成することができないからだろう。概念形成には、多くの情報が必要であり、時間がかかるのだ。
 
 

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