夢について
夢は実現させるためにあるのだろうが、夢を実現させてしまうと、それはもう夢ではない。実現させたことの喜びは確かに大きいのだが、その夢をもう見ることがないという寂しさも感じるに違いない。ささやかな夢であろうと、非現実的な夢であろうと、夢は夢。時々、夢を持っていないという人に出会ったりするけど、夢を持っていない人は、探しに行きなさい。いろんな人に出会って、尋ねてまわりなさい。「私の夢知りませんか?私の夢どこかに落ちていませんでしたか?」って。そうすれば、きっと夢が見つかる。夢に向かって行動するとき、こんな楽しいことはない。夢が実現したら、さらに嬉しい。寂しさを感じる前に、次の夢を追いかけはじめる。夢に限りはないんだから。
僕の夢を一つ語ろう。
鳥人間コンテストというのがある。毎年7月最後の日曜くらいに、自作の飛行機に乗って、10mの高さのプラットホームから琵琶湖へ飛び出す例のヤツだ。第1回大会は、1977年に催された。ちょうど君たちが生まれた頃だ。それから毎年、何人かが琵琶湖に飛び込んできたことになる。このテレビ放映を、僕は高校生の時に見て、「いつか、自分も飛んでやるんだ」と夢見た。毎年、テレビ放映を見るたび感動した。左右対称の機体が、空気の上をすうっと滑っていく姿を見ていると、体がふるえてきて、涙が出そうになる。僕の中の何かが、共鳴してしまうのだろう。その夢を忘れることなく、大学を卒業して、教師になって、今から数年前、そろそろかな?という時期がやって来たのを感じた。テレビ局に電話をして、参加申し込みの用紙を取り寄せた。作製する機体のおおよその形は頭の中にあった。一時期、人力飛行機にしようと思っていたのだが、ドーバー海峡を越えて世界記録を樹立した人がいるのを知って、人力飛行機に対する興味が失せた。その後2〜3年して、ドーバー海峡を越えた機体の設計図をまねて製作したグループが優勝してしまった。琵琶湖の対岸まで飛んでいっても不思議でもなんでもない。対岸まで飛べないことの方が恥ずかしいのだ。そのうち、人力飛行機部門はなくなるだろうと思ってる。で、僕の作製する機体は、滑空機。書類審査があるから、設計図を送らなければならない。さあ、描こうかとしたところで、僕のまわりの状況が変わってしまって、申し込みを断念しなければならなくなった。夢は実現せず、夢は未だに夢のままだ。
この夢を実現させる時期が、また、ここ2〜3年のうちにやって来るような気がする。時期というのは非常に重要で、その時その時にやるべきことを逃さずに、きっちり押さえておかなければならない。時期をはずしてしまうと、うまく行くはずのものも失敗したりする。
そろそろ機体の材料をどこで手に入れればよいかを、考えよう。太いカーボンシャフトが欲しいのだが、一体いくらするのか見当もつかない。翼に張るフィルムは、何が最適なのだろうか。しかも、それらを買うお金はどうするのか。
夢を実現させるのにお金が必要だったら、自分で貯めるという方法が一番かも知れないが、お金は、持ってる人に出してもらえばいい。自分の夢とその人の夢が一致したら良いだけのことだ。優勝賞金100万円。一緒に夢を見て、出資してくれた額に応じて分配しましょう。夢を見ることの楽しみがお金で買えるものならば、安いものです。
某月某日。プラットホームに立つ。機体は、先尾翼機。見えるものは、青い空と、白い雲と、太陽と、琵琶湖の水。ヘルメットのひもを締め直す。テレビ局のアシスタント(昔は、桂 三枝だった)が僕にきく。「どれくらい飛びそうですか?」僕は琵琶湖の対岸を見つめたまま答える。「風に訊け!」機体は、音もたてずに琵琶湖の上空を滑つて行く。