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風に訊け 3号

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受験勉強をするということについて
 
 そもそも勉強というものが楽しいものではないのだから、受験勉強が楽しいわけがない。そんな苦しい思いをしてまで、なぜ、日本中の高校生が受験勉強をしているのだろうか。だれもやめないから、自分一人でやめる勇気がないから、しかたなくしているのだろうか。もちろん自分の人生の目的に向かって生きるために大学を通過する必要があると考えている人にとっては、大学進学は当然のことであって、苦しくても乗り越えていかなければならないものとなっている。
 
 気をつけなければならないことは、大学へ進学することが目的ではなくて、大学というものは、単なる通過点であるということだ。だから、大学の先に何があるかがわからない限り、大学というものは意味をなさなくなってしまう。かといって、大学の先にあるべき目的というものが何なのかを自分なりに納得している人は、ほとんどいないように思うし、いなくてもそれが当たり前だとも思う。なぜかというと、君達は今までの人生の中で、ほとんどのことを自分以外の人に決定してもらってきたわけだから、自分自身で自分の人生の目的を考えようにも、どうすればよいかわかっていないからだ。
 
 今までは、それなりに苦しいことがあったとしても、どうにか乗り越えてきたんだろうけれど、高校3年生になって、大学受験という大きなプレッシャーを感じるようになってきた。今まで通りの調子で乗り越えられないと感じてしまえば、悩みというものが顔をだしてくる。何のために大学へ行くんだろう。大学がすべてじゃないのだから、行かなくてもいいんじゃないか、などと、受験勉強に立ち向かえない自分を正当化して現実から逃避しようとすることにもなりかねない。
 
 そりゃあ今の社会が悪いのかもしれないし、そんな社会の中に、今、存在していることは不幸なのかもしれないけど、やれ親が悪いだの、友人が悪いだの、学校の先生が悪いだの自分をとりまく環境の責任にしてしまうのは、これまた逃避であって、何もできない自分を正当化しているにすぎない。この環境の中で、いかに生きていくかということが大切なのであって、自分自身が、今、どうするかが問題なのだ。
 
 自分自身の存在を自分で確認するためにも反抗期というのは存在いしていて、僕が学校の先生や親に反抗したのは、中学生のときだった。といっても、不良と呼ばれることはなく、もちろん優等生(?)だったわけだが、高校なんか行く必要が無いなどと父親にくってかかったこともあった。ま、それは逃避であり、甘えであったわけだが、結局大人は、「今のお前にはわからないだろうが、いずれわかるときがくる」などと言って、納得できることなど一つもなかった。
 
 自分が高校へ進学するであろうことは自分自身でわかっていたことだから、高校進学のための受験勉強を正当化するための理由が欲しかったんだろうと思う。大学受験のときには、悩むことはなかった。だって僕には、とりあえず、(語弊があるかもしれないが)大学へ遊びに行くという目的があったのだから。
 
 たいていの人は、後悔をしながら生きているわけだから、大学進学直前の君達が、今、どのような行動をとろうが、後悔することになるかもしれない。でも、自分の人生なんだから、その瞬間、その瞬間で判断したことを信じて生きていってほしいと思う。やったことで後悔することは、やらなかったことで後悔するよりもずっといいと思っている。ただ、判断というものは、往々にしてまちがっているものだから、他人の意見を参考にすることは大切なことだ。特に親というものは、自分の子どもが不幸になってほしいと思っていることは絶対になくて、君達にとってわずらわしいと思われることでも、それらは、すべて君達の幸せのためになると信じているのだ。(勘違いもあるけどね。)
 
 今、受験勉強より大切なことがあるかもしれない。それが、絶対に逃避ではないという確信があるのなら、その行動もいいだろう。確信がないのなら・・・とりあえず受験勉強しなさい!
 
 

2号 音楽について  ◆ ◇ ◆  4号 テストの得点について
 
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