風を感じるということについて
我が愛車は、GSX400S KATANA。
15年以上前にドイツ人であるハンス・ムートが日本刀をイメージしてデザインをし、ショーモデルとして発表したものをスズキが1100ccのエンジンを載せて、1981年に当時世界最速バイクとして市販(輸出車仕様)した。(オケラみたいな)デザインもさることながら、KATANAというネイミングも斬新だった。僕の知る限り、このデザインをほめたのは数あるバイク雑誌の中の1誌だけだったと記憶している。他は、そのデザインをどのように扱ってよいのかわからず、良いとも悪いとも言わず、曖昧なコメントを載せていた。
翌1982年に750ccが国内で発売されるや爆発的な人気車になった。このときの750ccのハンドルは、当時の規制のため、耕運機のようなハンドルがついていて、KATANA乗りは、みんなセパレート・ハンドルに交換した。この改造をよしとしない当局が、片っ端から検挙し、「刀狩」と巷(ちまた)で呼ばれた。何回かのモデルチェンジの後、KATANAは製造中止になったが、1991年に250ccで初期のデザインを模倣したKATANAが発売されるにいたり、僕の血は騒いだ。
中型限定の免許では400ccまでのバイクしか乗ることができず、中古の750ccか1100ccを買って、乗らずに家に飾っておこうかとも考えていたくらい大好きなバイクだったので、すぐに購入を検討したが、250ccであることやその他の点で気になる所があって、迷っていた。そして、1992年に400ccKATANAが発売され、もう我慢ができなくなったが、さらに1年間、自分に問い続けた。本当にKATANAに乗りたいのかと。気持ちは変わらず、どうしても手に入れたかったので、2年ほど前についに購入した。世界に発表されてから15年以上経ったデザインなのに、このフォルムは今でも斬新に感じる。
バイクにはタイヤが2つしかない。だから、静止しているのは苦手で、そのときは常に支えてやらなければならない。さらに、雨が降れば体は濡れるし、冬の風は冷たく、夏のヘルメットは蒸し風呂となる。しかも、転倒すれば、いつ、「死」というものと出会わないとも限らない。以前は、転倒しても自分だけは絶対に助かると信じていたが、今は、すぐそこに「死」が見える。年をとって、守るべきものが増えてきたからかも知れない。オフェンスからディフェンスにまわったのだろうか、こっち側にいると思っているのは錯覚で、あっち側に渡ってしまったのだろうか。
まだ、こっち側にいることを確かめたくて、エンジンに火を入れる。確かめなければならなくなったなんて、年をとってしまったに違いない。年をとることが悪いことではなくて、どのように年をとっていくかが問題なのだ。「いつまでも子供みたいなことをして・・・」と言いたい奴には言わせておく。彼らにはわからないのだ。少年の頃の煌(きら)めきを無くしていくことの辛さが。いや、辛さがよくわかっているから、その辛さに気づかないように自分をだまし続けているのかもしれない。僕は、いくつになっても、少年の心を持ち続けて行く。夢をいつまでも追い続けて行く。
走り出せば、風を感じる。向かい風だ。タンクの中のガソリンとアクセルを開け続ける少しばかりの勇気があれば、ずっと風を感じていられる。順風満帆(じゅんぷうまんぱん)もいい気分なんだろうけど、流れに身をゆだねるよりは、常に風を感じていたい。よどみの中で動き出せば、すぐに風を感じることができる。流れに逆らっても風を感じる。流れを追い越しても風を感じる。だから、こっち側にいる限り、僕は走り続ける。それは、僕が生きているという一つの証(あかし)なのだから。
自分の人生は自分で生き抜くんだ。他人に生かされるんじゃない。たった一度の人生だ。後悔も無念もあるだろうけど、一度の人生でも十分だったと笑って最期を迎えてやる。
4号 テストの得点について
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6号 テストの出題について
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