血液型による性格判断について
血液型によって性格を判断したりすることは、星占いによって判断するのや千支(えと)によって判断するのとかわらない。人は、それこそ人それぞれであって、そう簡単にいくつかの性格に分類できない。自分をようく見つめれば、自分自身がどの型にもピッタリとはおさまらないということがわかるはずだ。だけど、血液型性格判断はよく話題になる。AとかOとか、文字の形から性格を決定したように思えるのだが、そんなによくあたっているのだろうか?
星占いに凝ってた友人は、「リーダーは獅子座(だったかな?)生まれだ」と言いきった。「そんな、ばかな」と言うと、「自分の出身校の生徒会長の星座を調べてみろ」と言われた。調べる気にもならなかったけど、彼にとっては、それが真実に思えるわけだ。血液型による性格判断もその程度なのだろうけど、血液型による性格判断はよくあたっていると思ってる人は多い。それらの人達は、自分勝手な解釈をしていないかどうか吟味する必要がある。例えば、「A型の人は几帳面だ」ということに対して、「その通りだ」と言う前に、「几帳面」とはどのようなことをいうのかと考える必要がある。だれかが「世間一般で言う几帳面ということだ」と答えるかも知れないが、「世間一般」が人それぞれで違う場合が往々にしてあるのだ。それなのに、「A型の人は世間一般で言うところの几帳面によくあてはまる」というと、大抵の人がうなずく。これは、各自が思っている「几帳面」にA型の人をあてはめるからだろう。そして、几帳面ではないA型や几帳面なB型は、各自が自分に都合のいいように例外として扱ってしまうからだろう。あっていれば当たったと言い、はずれたら例外とするわけだから、こんな都合の良いことはない。さらに、こういう風潮が広まった現在では、A型の人は、自分が几帳面なはずだと思うし、その結果、無意識にそのような行動をとることが増える。そうなると、A型の人の多くが、ますます几帳面になっていくわけだ(相乗効果というやつだ)。几帳面な人が増える分には、一向に構わないのだが、血液型が合わないから相性が悪いんだなどと言いだす奴がでてくるとやっかいなことになる。その連中は、うまくいかなくてあたりまえ、うまくいったら例外だと考えて行動するわけだから、うまくいくものも、うまくいかなくなってしまう。
最近の企業では、血液型によって配属部署を替えたり、新規採用者の合否を血液型によって決定しているとかの噂があったりする。たんなる噂であればいいけれど、本人の能力・資質等になんら関係のない血液型で入社の合否が決定されるとなれば、これは大問題だ。生活が脅かされるわけだから、血液型による差別以外のなにものでもない。
性格を判断するということは、その人をみることの一部だ。人をみるのに、その人の血液型が必要ですか。その人の血液型は必要ないけど、その人の成績は必要ですか。その人にまつわる噂話が聞きたいですか。それとも何か他のものが知りたいのですか。その人が自分より劣っている点ですか。それとも自分が持っていなくて、その人が持っているものですか。自分もみられていることを考えたとき、自分の何をみてほしいですか。何のかげりもない澄みきった心ですか。かろうじて心をおおっている薄い薄い金メッキの輝きですか。
心をのぞくことのできる鏡を手に入れたら、だれの心をのぞきますか。お父さん?お母さん?あの人?それとも自分?
血液型による性格判断は学説でもなく、単なるジョークに違いないのだが、「数人が集まって血液型の話になったとき、その話を切り出すのはA型で、それを否定するのがB型だ」と言われたときには、ちょっぴリドキッとしてしまった。
8号 嘘について
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10号 自我のめざめについて
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