板書
その昔、印刷物が無かった時代は、板書をノートに書き写すことによって、皆が本を作っていたのでしょう。けれども、教科書だけではなく、カラー刷りの参考書も豊富な現代において、なぜ板書をするのでしょうか。オーバーヘッドプロジェクターも教材提示装置もパワーポイントもある時代に、なぜ板書をする必要があるのでしょう。
私は、大切な項目等を囲んだりするときに黄色のチョークを使います。赤色は、色弱の生徒の可能性を考え、あまり使いません。もっとも、昔に比べ、赤色のチョークの色は見やすくなっています。それでも、教室が暗かったりすると、赤色は見えにくいものです。黄色も、白色の近くに書くと、白色か黄色か区別がつかないこともあります。そういうことも考慮しながら、板書計画を立てます。
ある日、生徒のノートチェック(これをしなくてはならないというのは、哀しいことです)をしていて、愕然としました。私が黄色で書いたところは、黄色のペンで書いてあったのです。もちろん、赤は赤のペンで。
教科書等に書いてあることを板書して、それを生徒に写させる。板書を写すことが授業を受けることだと思っている生徒は、何の疑問を抱くこともなく、板書を一所懸命に写します。でも、黒板をそのまま写すのであれば、今の時代、デジカメで撮っておけばいいのです。書くことによって覚えるということもありますが、それなら、教科書を書き写させる方が良いかもしれません。
板書は、なぜ必要なのか。もちろん、復習するときに、内容がすぐに思い出されるように記述することも大切です。教科書や参考書はこうしてまとめるのだ、ということを生徒に示すことも大切です。でも、一番の理由は、生徒に理解させるためだと思います。説明する過程において、板書をすることで分かりやすくなるからです。字の大きさ、色使い、配置等、全ては、生徒の理解のためです。
私は、板書するときに、説明しながら、まるで落書きを重ねているかのように黒板がとんでもない状況になることがあります。もちろん、それは、そうしなければ説明できないからです。説明を終えると、落書きを全て消して、エッセンスだけを書き直します。ほとんどの生徒のノートには、そのエッセンスだけが残ることになります。板書は、私が説明するために、どうしても必要なことなのです。
板書にも、いつくかのテクニックがあります。たとえば、どんなときにどの色を使うかをその年度は統一しておくのです。黄色と赤色の意味が違うことを、最初に生徒に伝えておくのです。また、私は、黒板の右端を、メモの欄にしておきます。そこには、すでに習った公式を書いたり、その時の授業の本筋から離れていることを書きます。あと、生徒には、板書を書き写す時間を必ず与えます。「私が板書している時」=「説明している時」(黒板に向かってはしゃべりません)ですから、その時は、説明を聞かせます。全員、前を向かせます。かなりのレベルでない限り、説明を聞きながらノートをとることなどできません。説明がすべて終わったときに、生徒に自由にノートを書かせます。もちろん、板書以外のことを書き足している生徒もいます。
もし、板書をプリントにして配布して済むなら、そうするべきでしょう。大事な授業時間を無駄にしないためにも。
12号 授業のテクニック
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14号 勉強
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