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むてき 15号

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考える
 
 初任の頃、数学の補習で問題を生徒に与えました。でも、その生徒はいっこうに鉛筆を動かそうとしないので、「考えよさ」と言うと、「考えるってどうするの?」と逆に質問をされました。今にして思えば、その問題をどのように解いていけばよいかという手順を聞かれていたのでしょうが、その時以来「考える」とはどういうことなのかを、ずっと考えていました。「考える」ということが何なのか分かっていないのにもかかわらず。
 
 確か、養老孟司は、「考える」ということを次のように述べていたように記憶しています。
脳からの出力(電気刺激)は、筋肉を収縮させるということだけだ。何かの刺激が脳に入力されると、それに応じて必要な箇所の筋肉を収縮させるよう出力をする。これが、反射とか本能と呼ばれる動物の行動である。しかし、人間の脳は、出力をしても筋肉を収縮させないでおくことができる。さらに、外的刺激以外に脳内で自分の脳に入力をすることができる。こうなると、脳内で入力と出力が繰り返されるようになり、刺激がぐるぐると回るようになる。これを「考える」という。
 文言は正確ではありませんが、内容は、だいたい合っていると思います。
 
 分かりにくいかもしれませんが、結局、脳内で電気刺激が行き交うことを「考える」と養老孟司は言っているのでしょう。そうなると、脳内の活動すべてが「考える」ということになりますが、私は、もう少し狭義の「考える」を考えています。
 
 その「考える」とは、「論理を積み重ねること」だということです。
 
 前にも少し述べましたが、テスト問題の答えを「aにしようかbにしようか?」と脳内で電気刺激が行き交っているのは、「迷っている」のです。「先生は、なんて言ってたんだっけ?」というのは、「思い出そうとしている」のです。「迷うこと」や「思い出すこと」は「考えること」とは異なります。なぜなら、そこに論理の積み重ねがないからです。
 
 「これがこうなったら、こうなるから、答えはaだ」というのなら、「考えた」と言えるでしょう。
 
 私たちは、子供たちに「考える」訓練をさせる必要があります。つまり、正しく論理を積み重ねていく方法を子供達に教えなければならないのです。問題の答えをノートに写したところで、それが考えたことにならないことは、誰しも理解しています。過程が分からないのに、答えを暗記してもダメだと指導するはずです(残念ながら、「分からないのなら答えを暗記しろ!」と言ったりするのも現実ですが)。 
 
 考えることによって、答えが出たとしても、その答えが正しいかどうかは別問題です。
 
 昔、三重県内のある中学校の職員会議で、「修学旅行の時、生徒の下着は白にする」という決定がなされました。そうして、決定したからには守らせなければならない。それならばチェックをしよう、ということになって、前日、持ち物検査をして、下着の色を確認したそうです。
 
 私は、この話を聞いたとき、なんとバカなことをしたのだろうと思いました。たぶん、真面目な先生方が、考えて考えて議論をしていったのでしょう。論理を積み重ねるということをしていったはずです。しかし、論理を積み重ねていく途中のどこかで間違ったか、そうでなければ、前提(論理の出発点)が間違っていたのです。
 
 正しく考えても出発点が違っていれば、とんでもない解が導き出されます。正しく「考える」ことだけでは、ダメなのです。
 
 
  

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