教科「国語」
教育において、一番大切な教科は、国語だと思います。小学校で英語を取り入れる時間があるのなら、それらすべての時間を国語にするべきでしょう。極端なことを言えば、小学校3年生くらいまで、国語の授業だけでよいかもしれません。
なぜ、国語が大切か。それは、母語(母国語)だからです。考えるときに必要な道具だからです。国語の授業においては、思考の道具である母語の使い方を徹底して教える必要があると思います。つまり、母語による論理的思考の方法を教えるのです。
私は、国語ができませんでした。共通一次(今はセンター試験)の解答で、選択肢を2つにまで絞れても、そこから先へ進めませんでした。ですから、最後は、あてずっぽう。確率二分の一です。なぜ、先へ進めなかったのか。それは、答えを導き出すために、どのように考えればよいかが分からなかったからです。本文を何度読んでもダメです。誰も、その方法を教えてくれなかったのです。国語ができる友人は、読んだら分かると、当たり前のように正解を選んでいました。これは、私に国語のセンスがない以上、どうしようもないことだと思っていました。
ところが、10年ほど前に、予備校の参考書を手にとって、愕然としました。そこには、現代文の解き方が書かれていたのです。それは、国語の問題を解くためのテクニックです。理系の私には、そのテクニックがよく理解できました。なぜなら、論理的にすべてが説明されていたからです。
センター試験の問題は、とてもよく考えられています。どのような批判を受けようとも、正解がそれになる論理が用意されています。ですから、理系の生徒にとって、センター試験の現代文は、とても点を取りやすいものです。そういうことを学ぶことができればの話ですが。
だからといって、センター試験の国語の問題は、レベルが低いなどと思わないでください。選択肢がなければ正解を記述できるのは、本当に国語の力のある者だけのようです。
母語を厳密に教えるのは、案外難しいことです。日常、何となく使えているので、疑問を感じていないのです。
定食屋で、注文を取りにきた店員に、A君が「天丼とうなぎ丼があるな。僕は天丼にするよ。君は?」と言ったので、B君が「僕はウナギだ」と言ったところで、「えっ!あなたが、あの有名なウナギマン(?)ですか」などと驚かれたりはしません。これを「うなぎ文」といいます。
この「僕はウナギだ」という文と「僕は男だ」という文は、何が違っているのでしょう。もっと分かりやすく言うと、係助詞「は」の使い方が、どう違っているのでしょう。または、同じなのでしょうか。英語にしたら、全く違う文になることは想像できると思います。日本語を勉強している外国人に、どう説明しますか?
発音についてもそうです。インドだったかで日本語を教えていた先生に聞いたことがあります。午前と午後の説明をしていたら、「午後」の「午」と「後」の発音は、どう違うのかと聞かれたそうです。私たちは気づかずに話していますが、実は音が明らかに違います。日本のアナウンサーは使い分けています。そういえば、「ゐ」や「ゑ」の正しい発音も分からなくなっていますからね。
母語を何となく使いこなすのではなく、真の国語の力を伸ばすために、たとえば、どのような家庭学習をしたら良いのでしょうか。漢字や語句の意味を調べるだけが国語の家庭学習ではないはずです。そうして、どうしたら「国語」の美しさ、楽しさを感じることができるようになるのでしょうか。
19号 言語
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21号 教科「数学」
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