教科「数学」
数学では、多くの公式を覚えなくてはなりません。どうしてその公式ができるのか、ということを授業で習いますが、一度理解したら、覚えた公式を使った方が楽に問題を解くことができます。試験のたびに公式を作り出している時間がありませんから。
高校までの数学は、答えがでます。というより、答えが出る問題しか扱いません。論理を正しく積み重ねていけば、必ず、答えにたどり着けるようになっています。でも、そう簡単に問題が解けないのは、どの公式を使えば良いかが、分からないからです。
作問者は、そこのところを理解しているので、問題の中にヒントを散りばめて、どの公式を使えば良いかが分かるようにしているのです。まず、これが分からないと、答案用紙が白紙になります。つまり、数学は、ある限定された範囲の中で、論理を積み重ねるのです。だから、それさえ分かれば、数学は簡単なものになるのです。
因数分解という式変形のパズルがあります。たとえば、次のようなものです。
xy−y+2x−2 = y(x−1) +2(x−1) = (x−1)(y+2)
因数分解で苦しんだ人もたくさんいるでしょうが、因数分解は、誰でもできるようになります。「因数分解5000題」みたいな問題集を1冊やれば、必ずできるようになります。新しいパターンなんてないのですから。
さて、上記の因数分解の問題を見てください。問題というのは一番左の式です。ここで、xに1を代入してみると、y−y+2−2 になって0となってしまいます。これは、因数分解した答え(右の式)を見れば、当たり前のことです。(x−1)が0になってしまうのですから。ということは、因数分解の複雑な問題があっても、xに1を代入して0になれば、答えには必ず(x−1)があるということになります。これを因数定理といいます(たぶん)。
因数定理は、因数分解を習ってからしか教えてもらえません。私は、因数定理を習ったときに、どうしてこれを最初に教えてくれないのか!と怒りさえ覚えました。だって、因数分解でどれほど苦しんだか。でも、これは数学教育では、当然のことなのです。
数学は、答えを当てることを目的としていないのです。答えに至る過程、つまり正しく論理を積み重ねることを訓練しているのです。公式を知らなければ、考えますが、公式に当てはめてすぐに答えがでるなら、考えなくてもすみます。数学は考えなくてはならないのです。
数学は、この訓練のために、記号を使います。それは、言葉よりも記号の方が論理の構築が簡単だからです。ですから、私は、国語の方が数学よりはるかに難しいと感じているのです。
数学は、紙と鉛筆があればできる最高の暇つぶしだ、と言った人がいるそうですが、そうかもしれません。ただ、この暇つぶしは、頭を使います。クロスワードパズルも暇つぶしにはなりますが、こちらはあまり論理を積み重ねる訓練にはならないように思います。
二次方程式の解の公式なんて、大人になって覚えている人は、ほとんどいませんし、日常生活で解の公式を使うことなどありません。ですから、生活に必要な割合とか役立ちそうなピタゴラスの定理とかを教えて、あとは、毎回、論理パズルでも考える訓練はできます。でも、論理パズルの問題を考える方が大変なので、数学という文化を伝承するためにも、今の内容で授業をしていく必要があります。
数学は、限定された条件の中で考える訓練をするのに最適の教科です。数学の新しい知識を習得するのは、その新しい知識を使って、それまでは考えることのできなかった問題を解くためです。いつまでも九九ばかりやっていられませんから。
20号 教科「国語」
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22号 教科「英語」
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