教科「理科」
理科は、高校では「物理」「化学」「生物」「地学」に教科書を分けていますが、教えやすくするために分類してみただけです。まぁこの分類からいくと、「物理」が基礎基本になっていると私は思っています。「物理」は、「数学」を道具として自然を解明しようというものです。その昔、医学部に進学するには、「数学」と「物理」が受験には必須でした。これは、医学部が「数学」や「物理」の知識を必要としたからではなくて、論理的思考力を必要としていたからです。
「物理」は、なぜ?という疑問をとことんまで追究します。そのために、条件をどんどん限定していきます。「もし空気抵抗がなかったら」とか「もし摩擦がなかったら」とか、あり得ないことを想定して理論を構築します。目の前の現実を解明しているはずが、全く現実的ではないのです。
鳥の羽一枚を学校の屋上から落としたら、どこに落ちるか。これは、物理学がどれほど発展しても解明できません。現実に対する科学とは、その程度のものです。でも、鳥の羽は、いつか地面に落下します。これには、地球の引力が関係していることを科学は証明したのです。
「化学」や「生物」は、「物理」よりずっと現実的です。でんぷんにヨウ素液をたらすと青紫色になります。この「ヨウ素でんぷん反応」を利用して、様々なことを追究していきますが、「物理」では、なぜ青紫色になるのかを追究します。「化学」や「生物」は、そういう追究の仕方をあまりしません。
「地学」は、残りの理科らしきものが詰まっています。最近は、高校の授業から「地学」がなくなってきました。悲しいことです。「地学」では、たとえば、地球が自転している証拠を示します。これを知らないと、多くの科学博物館等の入り口に、なぜ大きな振り子があるのかが分かりません。京都市立堀川高校の校舎の中の吹き抜けでも、巨大振り子が揺れています。
理科は、「科学的手法」を教えることを目的としています。これには、実験が欠かせません。ニュートンが1687年に著した「プリンキピア」の中で万有引力の法則を発表しましたが、星ほどの質量(≒重さ)がないと引き合う力が小さすぎて、証明できそうにありませんでした。しかし、1798年に地球の質量を求めようとしたキャヴェンディッシュが、結果的に万有引力を証明していることが、後年分かったのです。工夫をすれば、実験ができるということです。
実験というのは、再現性がなくてはなりません。同じ条件で行ったなら、誰が行っても同じ結果にならなくてはなりません。同じ結果になるからこそ、科学は説得力を持っているのです。
科学は、再現性のないものを対象としません。ですから、超能力や霊や宇宙人は科学の対象ではないのです。「科学がすべてじゃない。科学で証明できないものはたくさんあるのだ!」と声高に言う人がいたりしますが、当たり前です。科学がすべてであると思っている科学者などいないでしょう。
1950年代に、マネジメントの手法として、PDCAサイクルが発表されたようです。最近になって、三重県においてはこの手法が浸透してきたように思います。私は、この手法を最初に聞いたとき、奇妙な感じがしましたが、あるとき気づきました。何のことはない、これは、「科学的手法」だと。
22号 教科「英語」
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24号 教科「社会」
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