教科「保健体育」
食育というような新しい概念もできてきました。なんでもかんでも、学校で教えればよいということでもあるまいに。当然、健康ということに関しても、ある程度の知識は必要です。迷信を信じさせるよりは、正しいことを学校で教える必要があります。ですから、保健の授業も、家庭科と連携しながら、子供たちに生きる上で必要な知識を与えなくてはなりません。
実技である体育については、非常に多くの可能性を秘めた科目だと思っています。まず、体育は、自分の身体を使うということです。自分の身体を使って、人を感動させるのです。スポーツ観戦などは、よい例です。また、オリンピックの体操競技を思い浮かべれば、明らかでしょう。身体の動きを見て、人は感動することができるのです。身体で、人を感動させることができるのです。
ダンスの授業など、もうほとんど芸術だと思っています。どうやって身体で喜びや悲しみを表現することができるのでしょうか。私には、サッパリ分からないのです。表情は、効果的な手段でしょうが、表情がなくても、喜びや悲しみを表すことができるはずです。能は、面をつけて舞うのですから。
体育においては、いろいろなスポーツの指導をします。スポーツは、生涯にわたって楽しむことができます。スポーツには、それぞれルールがあって、知っているのと知らないのでは、楽しみ方が違ってきます。ルールを知っているから、パフォーマンスのすごさも分かるのです。ですから、子供たちにスポーツのルールを知識として与えることは、重要なことだと思います。
もちろん、体験させることも、必要でしょう。サッカーはこう、バレーはこう、走り高跳びはこう・・・。スポーツはたくさんありますから、少しでも多くのことを体験させたい。それは、そうなのですが、私は、こう思っています。全ては、身体を動かすことによって表現される。その表現のしかたが、サッカーであったりバレーであったりするだけで、身体運動ということでまとめられるのではないか、と。つまり、身体運動の基本というものがあって、それをマスターすれば、あらゆる競技ができるようになる。その基本を教えるのが、体育であればいいなぁ、と思うのです。
身体運動は、脳の訓練です。最初はぎこちない動きが、スムーズな動きになります。これは、その運動をするのに、最初は多くの脳細胞が活動しているけど、その動きを反復して行うと、自動制御機能ができあがって、多くの脳細胞が活動しなくても、その運動を行うことができるのだろうと思います。たとえば、立って歩くことは、非常に困難なことです。最初は、いろいろな情報を分析するだけの脳細胞が必要なのですが、そのうちに何も考えずに歩けるようになります。すごい自動制御になっているわけです(この自動制御に混乱を生じさせて倒すのが武術の技です)。その自動制御にいたるまでに、スランプが訪れます。このとき、反復練習をしなくても、脳細胞が活動していれば、自動制御はできあがっていきますから、何も練習しなくても技術が向上することがあるのです。スランプ脱出です。
このような脳の訓練で、どのようなものが一番効果的なのかが分かりません。基本的なものがあるのか、個人ごとに異なっているのか。研究成果を知りたいものです。
身体運動の基礎基本。スパースターへとたどり着くことのできる道筋。だれか解明してくれませんかねぇ。
25号 教科「芸術」
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最終号
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