最終号
その昔、スペインに無敵艦隊があったと歴史の授業で学びました。しかし、この名称はスペインの自称ではなく、勝ったイギリスが自分たちの優秀さを誇示するために名付けたようです。また、マリオはキノコを取ると無敵状態になって、攻撃を受けても、すぐゲームオーバーにはなりませんでした。
これらの無敵は、「戦っても負けない」とか「最強」という意味です。
合気道をやれば、無敵になれる。そう、いわれていました。もう、亡くなりましたが、塩田剛三という合気道の達人が、海外で暴漢に襲われたとき、殴ってきた腕を払えばその腕の骨が折れて、蹴ってきた脚を払えばその脚の骨が折れたので、自分の強さにびっくりして、合気道の技は使うものじゃないと思ったそうです。でも、この強さは、合気道でいう無敵ではないのです。
実は、塩田先生がご健在の頃、私は先生の道場に行ったことがあるのですが、その時、塩田先生がいらっしゃらなかったので、しばらく見学をさせていただき、縁がないものと入門を諦めました。当然、事前に連絡など取っておりません。いつでも見学可でしたので、突然、おじゃましたわけです。そりゃあ会えないこともあるだろう、と思われるかもしれませんが、私は、そうは思わないのです。人は出会うべくして出会います。その時、会うことができなかったということは、そういう関係だということなのです。
ここでいう無敵とは、最強ではありません。向かうところ敵なし。これも、最強のイメージがありますが、こう考えることもできます。つまり、敵がいないのです。皆、味方であり、仲間であり、友達なのです。ライバルがいるかもしれませんが、それは敵ではありません。敵がいなければ、争う必要もないのです。
そのような境地があることを知ってから、私は、無敵になりたいと思うようになりました。究極は、悪意を持って自分を殺しにくるヤツと友達になれるか、ということです。
そのような物騒な話はさておき、私たちは教育者として、次世代を担う若者を育てています。やり方はそれこそ無限にあるでしょう。でも、目的は同じなのです。どうすれば、未来が平和であるか。どうすれば、この若者達が幸せになれるか。それ以外の目的は、ないのです。その目的に向かわないような活動は、してはいけないのです。何かをしようとして判断に迷ったときは、その行動が、この目的に向かうかどうかを基準にすればよいのです。
私たちは、同じ目的に向かって行動をしている仲間です。敵ではありません。争う必要など、何もないのです。主義主張が異なることは、構いません。大いに議論しましょう。平行線のこともあるでしょう。構いません。たとえ、平行線であっても、私たちは仲間なのです。仲間は助け合うものです。お互い与え合うものです。奪い合ったり、妬んだり、貶めたりすることは、全く必要ありません。
この2年間は、津商業においてできること、やらなければいけないことを考えてきました。目の前にいる津商生を、どう育てればよいか。私が、津商生を直接指導するわけではありません。津商生を指導される先生方が、ご自分の能力を遺憾なく発揮されて、津商生のために行動できるように、私は、どのように行動すればよいのか。そういうふうに考え行動してきたつもりです。制御できるのは、自分の心と行動です。自分以外の人の考えや行動をコントロールすることなど、できるはずがないのです。
これから、私は、少なくとも三重県中の県立学校生のために行動することになります。無敵となって三重県中の仲間と考え、行動していきたいと思っています。
楽しい2年間でした。ありがとうございました。
26号 教科「保健体育」
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号外 楽
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