気づく
縁あって、私は古武術の指導をしてもらっています。江戸時代の侍が身につけたもので、剣術、柔術、小太刀、十手、棒術、長刀(なぎなた)、居合の稽古を月に1度ですが、もう、10数年続けています。鎖鎌や手裏剣のことなども話には聞きましたが、実際に稽古はしていません。これらが何の役に立つのか、というと、何の役にも立ちません。日本舞踊やお茶やお花の稽古と同じです。新しい発見があって、自分が上達していくのが面白いのでしょう。
ある日、稽古の休憩時間に、水でも飲みにいこうとして、道場を出て、下駄箱から靴を取り出して、いつもやっているように腰の高さくらいで手を離し、靴を床に落としました。ちょうどその時、先生が通りかかって、私にだけ聞こえる低い声で「靴を放ってはいけません」とおっしゃいました。私はそのまま動けなくなって、体中から汗が噴き出したのを覚えています。
靴は、ポトリと落とすより、しゃがんでそっと床に置く方が良いにきまっています。30数年も生きていて、そんなことも分かっていませんでした。いえ、知っていたはずなのに、行動が伴っていなかったのです。私が靴を落とすのを見て、先生は思ったに違いありません。「それなりのことを口にしていても、出口はこの程度なのだろう」と。
いろいろな場面でどのように行動すればよいか、というようなテストがあったら、先生方は皆、高得点を取れると思われます。たとえば、トイレのスリッパは揃える方がいい、とか。誰でも知っているのです。でも、トイレのスリッパが乱れているときがあります。スリッパは勝手に揃いません。トイレに行ってスリッパが揃っていたら、それは誰かが揃えてくれているのです。ゴミ箱のゴミがなくなっていたら、それは誰かが捨ててくれたのです。物がキチンと並んでいたら、誰かが整頓してくれたのです。そういうことに気づくことが大切だと思っています。気づかなければ、何の行動にも結びつかないのですから。
ゴミが落ちていることに気づかなければ、ゴミを拾って捨てることなどできません。見慣れた光景に、見落としているところ、気づいていないことが、きっとたくさんあるに違いありません。
たとえば、生徒の下駄箱の上の靴。教室のロッカーの上の物。授業時に生徒机の上にある物。教室内のゴミ。それらが見えていない生徒はいっぱいいるでしょう。だから、生徒に気づかせなければなりません。気づかなければ、片付けることなどあり得ませんから。
部活動において、道具を粗末に扱ったり、整理整頓をしていなかったら、厳しく指導しているのではないでしょうか。部活動においては、当然のことです。でも、それは、日常生活において当然のことだから、部活動でも指導しているのです。部活動のときだけキチンすればいい、というものではないはずです。
私は、時々、津駅から学校まで歩きます。そこで、思うことは、意外にゴミが少ないということです。多くの生徒も通るのに、ゴミをしないはずがないと思っていたのですが、どうも、周辺の方が散歩のついでに(?)ゴミを拾っているとの噂も聞きました。そりゃ、そうだろうな、と思ったしだいです。
実は、気づいて行動されている先生が、本校にはいらっしゃいます。
私も、ゴミには気づいているのですが・・・。
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