授業のタブー?
科学者にゲーリュサックという人がいました。気体反応の法則を発見した人で、化学の授業で教えます。私は、冗談として、「ゲーリュックサックではないですよ、いいですか?」と、授業をしました。生徒達は、何をオヤジギャグ言ってるんだ、というような顔をしていました。しかし、定期考査で、「ゲーリュックサック」と解答する生徒が複数いたのです。そこで、次の学年に教えるとき、「去年、ゲーリュックサックと答えたものがいたんだよ」というと、笑いが起こりました。そして、その後の定期考査で、やはり「ゲーリュックサック」と解答する生徒が複数いたのです。
何故、誤った解答をする生徒がいたのか。答えは明白です。私が、誤ったことを教えたからです。彼らが、私の授業を聞いていたからです。
私は、英語が苦手でした。アクセントの問題など、全く分かりません。法則性のあるものだけは、理解できますが、「アンブレラ」のアクセントが「ア」にあるのか「レ」にあるのか、私にとってはどうでもいいことだったのです。でも、テストには、出ます。答えを書くまで、迷い続けます。「ア」だろうか「レ」だろうか。小声で発音したところで、分かるわけありません。授業中、先生は、どう言っていただろうか。先生は、ちゃんと言っていたはずです。「アンブレラではなくて、アンブレラですよ。気をつけてくださいね」と。よく分かったはずです。このとき、学生であった私の頭の中には「アンブレラ」と「アンブレラ」がインプットされたのです。どちらが正しいのか、ということは忘れても、「アンブレラ」と「アンブレラ」は思い出せるのです。論理を組み立てて導ける解答ではありません。正しいのはどちらであるかを思い出さなければいけないのです。でも、もう、それを思い出すことは不可能です。テストにおいては、どちらかに違いないと思いつつ、迷ったあげくに、どちらかを選ぶだけのことしかできません。「迷う」ということは、「考える」ことではありません。サイコロをふることと同等です。迷った答えが当たったところで、テストの点がちょっと上がるだけのことです。
だけど、授業中、先生が「アンブレラ」としか、決して言わなかったとしたら、どうでしょうか。先生の発音を思い出したとき、「アンブレラ」という選択肢は出てこないのです。そのようなものは、頭の中にインプットされていないのですから。
授業中、先生は、間違ったことを教えてはいけません。ましてや、間違ったことを板書するなどもってのほかです。「いいですか。これは間違いですよ」といって、大きな×印を書いたとしても、板書を思い出したとき、×印が思い出せないかもしれないのです。授業において、正しいことしか聞いていなければ、正しいことしか見ていなければ、思い出したことすべてが正解になるはずです。
私は、授業において「ゲーリュックサック」と言うことをやめました。もう、そのような解答をする生徒はいません。ただ、分からないことがあります。私が「ゲーリュックサック」と言ったことによって、「ゲーリュサック」の記憶が鮮明になった生徒がいるかもしれないのです。オヤジギャグだと笑った生徒の中には、「ゲーリュサック」と言うだけでは記憶できなかったのに、「ゲーリュックサック」と言ったので、「ゲーリュックサックなどとバカなことを言ってた教師がいたなぁ」と、「ゲーリュサック」を完全に記憶したかもしれないのです。
ただ、私は思います。誤りを誤りとして認識して記憶できるのは、かなりレベルが高いのではないでしょうか。
6号 良い授業
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8号 授業のタブー!
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