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むてき 9号

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教科書
 
 採用試験に合格して、教諭として赴任して、物理の教科書を見たとき、なんと簡単なことを教えるのだろうと思いました。一気に読んで、これなら3日で教えられると思い、同僚の理科の先輩にそう申し出ると、「ま、やってみて」と言われました。当然、1年間かかっても、生徒に理解させることはできませんでした。
 
 昔から生意気だった私は、教科書に対しても不平を言っていました。そこで、不平を言っていてもどうしようもないので、自分で教科書を作ろうと思い立ちました。それならば、自分の教えたいように編纂できます。ここは、こういう説明にしよう、これとこれの順番を入れ替えよう等々と考え始めましたが、考えれば考えるほど、教科書がよくできていることが分かりました。なるほど、私よりずっと物理のことを分かっている人が、これを書いているんだな、ということが、よく分かりました。当たり前です。それならば、話は早い。あとは、この教科書をどう活用すれば、効率よく教えることができるのかを考えればよいだけです。
 
 物理にしても数学にしても、教えたいことは、すべて教科書に書いてあります。社会(地歴・公民)だってそうでしょう。教科書を読んで、理解して、必要なことを覚えれば、問題を解くことができます。けれども、そう甘くはありません。教科書を読んで理解できる生徒は、少数派です。ですから、授業をする必要があります。特に、物理と数学は、独学で学ぶより、教えてもらった方が、はるかに短い時間で理解できます。理解するコツがあるのです。高校において教えてもらうべきことは、物理と微積だ、と何かの本に書いてありました。特に微積の発想など、まず思いつくことは不可能です。その昔、同時期に、ニュートンとライプニッツが微積を考えつきましたが、この発想がなければ、科学は進歩しなかったほどです。
 
 さて、教科書は、読めば分かります。授業を欠席してしまっても、家で教科書を読んで理解できれば、次の時間から、なんとか授業についていけるかもしれません。けれども、不思議なことに、国語の教科書は、作品集になっています。ひとつひとつの作品を覚えるほど読んだとして、何が理解できるのでしょうか。漢字や語句の意味を覚えることはできるし、感性を磨くことができるかもしれません。そういったことだけを、授業でやっているのでしょうか。そうではないはずです。つまり、国語のような教科書の場合は、必ず、授業を受けなければならないのです。自学自習は、まずできません。ということは、授業を欠席した生徒には、補習をしなければならないはずです。
 
 数学が理解できないと、親や生徒が、あの先生は教え方が悪い、などと言ってきます。国語は、あまりそういうことがありません。親も生徒も、もしかしたら先生も(失礼!)、国語とは、そういうものだと思っているのです。
 
 国語は、単なる例です。それぞれの教科で考えなければなりません。私たちが教わってきた授業形態が、理想型ではないはずです。数学の授業は、こういうもの。国語の授業は、こういうもの。英語の授業は、こういうもの。果たして、そうでしょうか。何を教えるために、何を理解させるために、そのような授業形態をとっているのでしょうか。そもそも、その1時間で、何を教えなければならないのでしょうか。その1時間の授業の目的は、何でしょうか。その目的を達成するために、最善の方法をとっているのでしょうか。考えなければならないことが、たくさんありそうです。
 
 
  

8号 授業のタブー!  ◆ ◇ ◆  10号 教科書の記述
 
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