生命の教育研究所----今を生きるあなたに伝えたいこと

Contents

HOME 代表プロフィール 中学生・高校生のあなたへ 教員の方へ(教員を目指す方へ)講演記録 ブログ

みかんのわ 12号

イメージ写真

疾風怒濤時代ってなぁに?
 
 その昔、チェッカーズというグループが、「ギザギザハートの子守唄」という歌をヒットさせた。

 そのとおりだ。
 君たちのハートは、ギザギザなんだ。
 ナイフみたいに尖っているから、近づく者を傷つけてしまうし、時には、自分自身をも深く傷つけてしまう。
 

 青年期という時期は、疾風怒濤(しっぷうどとう)時代とも言われる。

 疾風が吹き大波が荒れ狂う嵐は、君たちの心の状態だ。
 心が成長していく過程において、だれもが通過する時期だ。

 人を傷つけては苦しみ、傷つけられては苦しみ、毎日がこんなに苦しいのに、楽しそうにしてるヤツがいると、彼らが何も悪くないのに彼らが憎くなったりして、人を憎んでる自分に気づいてまた苦しむ。

 もちろん楽しくてしょうがないこともあるし、何不自由ないはずなのに、突然やりきれなくなったりする。
 

 歳をとると、だれもが「丸くなったね」と言われるようになる。

 心が成長していくと、角(かど)がとれていくんじゃなくて、角が隠れてしまうほど、心が大きくなっていくんだ。

 自分自身が変わるわけじゃない。
 今の自分の心が、内側から大きくふくらんで来るんだ。

 たとえ角を隠すために、外側から何かを張りつけたところで、そんなものは、いつか、はがれ落ちてしまうだろう。
 

 学生時代の僕は、変なヤツだった。
 今も変なヤツだとすると、今よりもっと変なヤツだった。

 今から考えると、僕の友達にも変なヤツがいたけれど、それは、お互いが許し合っていたようだ。

 みんなが成長過程にあって、(良い意味での)大人になってたヤツもいたんだろうけど、まだまだみんな子供だったから、傷つけ合っても、お互いが許し合わなければ、その社会を維持できなかったんだろう。

 ただ、他人を許すためには、心が成長していなくてはならないわけで、心が成長すれば、傷つけ合うこともなくなる。

 逆に、心が未熟で他人を傷つけてしまう時にこそ、お互いに許し合わなければならないというのは、大きな矛盾なんだ。

 けど、小さい頃、みんながわがままだったのに、何とかやってこれたんだから(もっとも今ほど傷つくこともなかったかも知れないが)、今も何とかやっていけるさ。

 今でも自分のわがままがとおるとしたら、それは、みんなが許してくれているんだ。
 

 自分自身が傷つくのが怖いから、意識してか無意識にか他人を傷つけたりすることがある。

 冗談で何かをした場合、そのことで相手を傷つけているという意識はない。

 だけど、本当に冗談として相手は受け取っているんだろうか。
 そこまで気持ちが通じ合っているんだろうか。

 自分がそれくらいのことで傷つかないからといって、相手もそうなんだろうか。

 何でもないような一言が、くやしくて悲しくて、眠れない夜を過ごしているかも知れないのに。

 なんたって、疾風怒濤時代なんだから。
 

 傷ついてしまった自分の心は、自分で heal(ヒール:癒す)しなければならない。

 そうすることによって、また少し強くなれる。

 傷ついた心を見せまいとして、虚勢を張ることもある。
 人を憎むこともある。
 逃避を考えることもある。

 これらは、成長過程の普通の心理だ。

 だけど、そうすることでは、心が成長していかないことにも気づかなくちゃいけない。

 自分を傷つけた人も、自分と同じ成長過程にあるんだ。
 その人を許してあげたい。

 そのためには、自分がもっともっと強くならなくちゃいけない。

 だけど、強くないから苦しむわけだ。

 堂々巡りだ。
 なんたって疾風怒濤時代なんだから。
 

 人に言えない苦しみや悲しみをいっぱい背負っているのに、そのことを表面に一切出さずに、いつもみんなを楽しませてくれるヤツがいたりする。

 背負っているものを口に出すと、よけいにつらくなるからそうしないそうな。

 そんなヤツに出会ったりすると、年上だとか年下だとかは関係なく、人間として、尊敬してしまう。

 改めて、僕は、まだまだだなぁと思ってしまう。
 

 苦しいけれど、傷つけたり傷つけられたりして、人は成長していくんじゃないのか?
 
 

  

11号 強さってなぁに?  ◆ ◇ ◆  13号 イメージ戦略ってなぁに?
 
トップへ戻る

 

リンク

Copyright(C)2018 生命の教育研究所 all rights reserved.