疾風怒濤時代ってなぁに?
その昔、チェッカーズというグループが、「ギザギザハートの子守唄」という歌をヒットさせた。
そのとおりだ。
君たちのハートは、ギザギザなんだ。
ナイフみたいに尖っているから、近づく者を傷つけてしまうし、時には、自分自身をも深く傷つけてしまう。
青年期という時期は、疾風怒濤(しっぷうどとう)時代とも言われる。
疾風が吹き大波が荒れ狂う嵐は、君たちの心の状態だ。
心が成長していく過程において、だれもが通過する時期だ。
人を傷つけては苦しみ、傷つけられては苦しみ、毎日がこんなに苦しいのに、楽しそうにしてるヤツがいると、彼らが何も悪くないのに彼らが憎くなったりして、人を憎んでる自分に気づいてまた苦しむ。
もちろん楽しくてしょうがないこともあるし、何不自由ないはずなのに、突然やりきれなくなったりする。
歳をとると、だれもが「丸くなったね」と言われるようになる。
心が成長していくと、角(かど)がとれていくんじゃなくて、角が隠れてしまうほど、心が大きくなっていくんだ。
自分自身が変わるわけじゃない。
今の自分の心が、内側から大きくふくらんで来るんだ。
たとえ角を隠すために、外側から何かを張りつけたところで、そんなものは、いつか、はがれ落ちてしまうだろう。
学生時代の僕は、変なヤツだった。
今も変なヤツだとすると、今よりもっと変なヤツだった。
今から考えると、僕の友達にも変なヤツがいたけれど、それは、お互いが許し合っていたようだ。
みんなが成長過程にあって、(良い意味での)大人になってたヤツもいたんだろうけど、まだまだみんな子供だったから、傷つけ合っても、お互いが許し合わなければ、その社会を維持できなかったんだろう。
ただ、他人を許すためには、心が成長していなくてはならないわけで、心が成長すれば、傷つけ合うこともなくなる。
逆に、心が未熟で他人を傷つけてしまう時にこそ、お互いに許し合わなければならないというのは、大きな矛盾なんだ。
けど、小さい頃、みんながわがままだったのに、何とかやってこれたんだから(もっとも今ほど傷つくこともなかったかも知れないが)、今も何とかやっていけるさ。
今でも自分のわがままがとおるとしたら、それは、みんなが許してくれているんだ。
自分自身が傷つくのが怖いから、意識してか無意識にか他人を傷つけたりすることがある。
冗談で何かをした場合、そのことで相手を傷つけているという意識はない。
だけど、本当に冗談として相手は受け取っているんだろうか。
そこまで気持ちが通じ合っているんだろうか。
自分がそれくらいのことで傷つかないからといって、相手もそうなんだろうか。
何でもないような一言が、くやしくて悲しくて、眠れない夜を過ごしているかも知れないのに。
なんたって、疾風怒濤時代なんだから。
傷ついてしまった自分の心は、自分で heal(ヒール:癒す)しなければならない。
そうすることによって、また少し強くなれる。
傷ついた心を見せまいとして、虚勢を張ることもある。
人を憎むこともある。
逃避を考えることもある。
これらは、成長過程の普通の心理だ。
だけど、そうすることでは、心が成長していかないことにも気づかなくちゃいけない。
自分を傷つけた人も、自分と同じ成長過程にあるんだ。
その人を許してあげたい。
そのためには、自分がもっともっと強くならなくちゃいけない。
だけど、強くないから苦しむわけだ。
堂々巡りだ。
なんたって疾風怒濤時代なんだから。
人に言えない苦しみや悲しみをいっぱい背負っているのに、そのことを表面に一切出さずに、いつもみんなを楽しませてくれるヤツがいたりする。
背負っているものを口に出すと、よけいにつらくなるからそうしないそうな。
そんなヤツに出会ったりすると、年上だとか年下だとかは関係なく、人間として、尊敬してしまう。
改めて、僕は、まだまだだなぁと思ってしまう。
苦しいけれど、傷つけたり傷つけられたりして、人は成長していくんじゃないのか?