国際人ってなぁに?
その昔、MADE IN JAPAN と表示のある製品が、世界中に出回った。
発展途上にある国は、安い人件費で労働力を確保できるので、商品の値段を低く設定することができた。
おまけに、1ドルが360円だったから、なおさらだった。
今では、想像もできない時代だったんだ。
少し前、日本製の半導体(コンピュータ等の部品)が世界中に出回っていたけど、今は、マレーシアやシンガポールや台湾製の半導体の方が同じ性能なら安く手にはいる。
安い部品を使えば、安い商品ができるんだから、世界の企業は、少しでも安い部品を手に入れるため、国際規模で活動している。
つまり、経済面に関しては、ずっと前から国際化されていたことになる。
政治面においても、国際連合というものがあるわけだから、とりあえず国際化されていると考えてもいいだろう。
それなのに、今、国際化、国際化と騒いでいるということは、それら以外のことについての国際化ということになる。
人は、社会の中に存在している。
その社会というのは、家族だし、隣近所だし、村だし、郡だし、国だ。
国際化とは、その社会をさらに国の集まりである世界にまで広げようというわけだ。
日本は、世界の中にあるんじゃないかと言うかも知れないけど、じゃ、世界の中に自分が存在しているんだという自覚があるのかい。
海外旅行で、どこそこに行ったことがあるから、外国の存在を知っているというんじゃなくて、隣近所の人たちや、自分の友人たちと同じように、世界中の人を身近に感じることができるかどうかなんだ。
どこかの国で戦争が始まったとする。
どこかの国と言えるのは、自分と関係ないからだ。
その国がどこにあるのかを調べるのは簡単だけど、その国では、人が死んでいるんだということを実感することはむずかしい。
もしもその国に、親戚がいたりしたら、もっと真剣にニュースを見るだろう。
知らない人は、死んでもいいってわけじゃないだろ。
日本は、200年以上にわたって鎖国をした歴史がある。
(注:鎖国についての歴史評価は変化しています。)
世界レベルの発展が遅れたかも知れないけど、その間に、世界に誇ることのできる日本特有の文化ができあがった。
外国人が興味を示す日本の文化というのは、鎖国中にできあがったこの文化のことであって、何もかもどこかの国の真似をしようとする現代の文化じゃないんだ。
同じように、外国には、その国の文化がある。
それは、日本と似ていたり、全く違っていたり、本当に様々だ。
この異文化に触れると、culture shock(カルチャー・ショック)を受ける。
確かに、その国に行かないと感じることのできない雰囲気というものもあるけれど、日本にいたって、異文化に触れることはできる。
国際社会に存在する国際人は、そういう異文化を全て受け入れるんじゃなくって、また、異文化の存在を否定するんじゃなくって、その異文化を認めるということから始める。
その文化が育ってきた背景も分からずに、それが善いとか悪いとか言えるわけがないんだから。
異文化が、自分たちの文化とどのように異なっているのかを理解するには、自分たちの文化を良く認識しておかなければならない。
自分たちが何者なのかが分からないのに、異文化に属する人たちがどうなのかを理解できるはずがないからね。
友達同士という関係にあれば、お互いに相手のことを知っている。
同じように、異文化を十分理解するためには、自分たちの文化も理解してもらわなければならない。
そのためには、自分たちの文化の説明をする必要がある。
つまり、自分自身を理解して、自分の立脚点を認識し、自分たちの文化を相手に伝えることができ、お互いの文化を認め、国際社会発展のために協力しあっていける人。
それが国際人と呼ばれるんじゃないだろうか。
君たちは、自分たちのことを、外国人に、どこまで説明できる?