正々堂々ってなぁに?
「我々は、スポーツマンシップに則り、正々堂々と戦うことを」あっちでもこっちでも誓ってるんだけど、どういうふうに戦うことを誓ってるんだろう。
sportsmanshipという精神は、結果としての勝敗にこだわらず、fair play(フェアプレー:駆け引きのない、公明正大な行動)をすることを意味している。
ズルなしで、能力を出し切ってゲームそのものをお互い楽しもうというわけだ。
本当にそんなことを思いながら、いろんな所でいろんなゲームが行われているんだろうか。
サッカーでもバスケットでも、足をひっかけたり服を引っ張ったりするのは、反則だ。
反則はやっちゃいけないことだけど、反則じゃないことをするのは、戦略になるんだろうか。
例えば、審判から見えないところで服を引っ張るとか、足をひっかけられてもいないのにわざと倒れて、相手のファウルを審判に要求するとか。
でも、そんなのは、やっぱりズルイよね。
バレーボールのアタックがキルと言われていた頃、攻撃方法はオープン攻撃しかなかったから、だれがアタックを打つのかが、みんなに分かってしまった。
それでもアタッカーはブロックを抜いて、レシーバーのとれないボールを打った。
そんな中で、ミュンヘンオリンピックの時、日本は自らが編み出したクイック攻撃を武器にして金メダルを取った。
今では当たり前のクイック攻撃も、その時世界中に知れわたることになったんだ。
だれが、いつ打って来るのか分からなくなったので、対戦相手は防御のしようがなかった。
画期的な、すばらしい技術だったんだ。
相手を欺くという点において。
フェイントというのは、相手を騙(だま)すことだ。
ゲームには駆け引きがあるし、フェイントは技術だ。
駆け引きやフェイントを使わないゲームなど皆無だ。
自分が勝つためには、相手が力を出し切らないように駆け引きをし、騙し、全てを自分に有利な方向に持っていかなければならない。
一体いつからこんなことをフェアプレーと言うようになったんだろう。
いや、ゲームが全てそうだったから、フェアプレーをしましょうって誓うようになったんだろうか。
地元の小学校の運動会で、PTA競技種目に、新しいゲームが取り入れられた。
赤白の2チームに別れての玉入れなんだけど、普通の玉入れのように、駕籠が高い所に固定されているんじゃなくて、そのゲームでは、赤玉用の駕籠を背負った人と白玉用の駕籠を背負った人が、運動場を走りまわる。
その走りまわる駕籠の中に、玉を入れようというものだった。
ゲームが始まると、駕籠を背負った2人が走り出す。
その駕籠に玉を入れようと、みんなが追いかける。
玉を投げ込もうにも、そう簡単には入らない。
ここまでは、だれもが予想できる展開だった。
ゲーム発案者も満足していたに違いない。
そのまま適当な時間になって、さて、どっちが勝ったかなってことになれば良かったんだけど、赤組の1人が、駕籠を背負っている人を捕まえた。
すぐにみんながわっと寄って行って、身動きできなくなった駕籠に、これでもかと赤玉を詰め込んだ。
詰め込む赤玉がなくなった時点で、駕籠は解放された。
全ての赤玉を駕籠に入れてしまった赤組の勝利は確実だった。
それなのに、突然、進行係は、ルールを変えてもう一度行うことを宣言した。
新ルールは、円をかいて円の中を動き回る駕籠に円の外から玉を投げ入れるというものだった。
迫力も何もなくなって、つまらないゲームが終了した。
さて、最初のゲームの時、駕籠を背負った人を捕まえた赤組は、正々堂々と戦って勝ったのだろうか、それともズルをして勝ったのだろうか。
ゲームだけでなく社会のルールにも抜け道はあるし、社会においてもフェイントは有効な手段だ。
だけど、そんなことをする自分に、もうひとりの自分が「卑怯だ!」と叫んではいないかい?
14号 国際人ってなぁに?
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16号 価値ってなぁに?
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