限界ってなぁに?
スポーツにせよ勉強にせよ、何をするにしても、確かに限界はある。
どんなにがんばったところで、それ以上前には進めない。
もうだめだと思う。
あきらめたわけじゃないけど、体や頭がついていかない。
やるべきことをすべてやったのなら、人事を尽くしたのなら、天命を待つ他はないのだろう。
だけど、その限界ってのは、どこにあるんだろう。
少年漫画雑誌等によく広告のでている「ブルワーカー」という筋力増強のトレーニング器具がある。
これは、僕が小学生の頃には、もう mail order(メイルオーダー:通信販売)されてて、その当時から、1週間で効果があらわれなければ、返品可能ということだった。
通信販売というものは購入してしまうと、返品するのは案外面倒で、1週間の効果云々より、まあいいかと返品しない人もたくさんいることだろう。
だけど、1週間で本当に効果があらわれるかどうかを確認する人も多くいるはずだ。
それじゃ、その人たちの多くが、効果がなかったといって返品しているのかというと、そうでもないようだ。
実は、普段筋力トレーニングをしていない人は、筋力の限界というのを筋肉が能力をだしきった状態で感じるんではなくて、脳があらかじめ設定している低いレベルに達したときに、限界を感じるんだ。
もし、筋肉がその能力の限界の力をだしたら、筋肉自身を破壊してしまうとか、靱帯を切ってしまうというようなことが言われている。
そうならないために、力をセーブするように、脳が限界を決めるわけだ。
筋力トレーニングを始めると、最初の1週間くらいで、この脳の設定する限界レベルが変化する。
もともと筋肉には、火事場の馬鹿力と言われるほどの能力が十分あるわけだから、余裕をもって設定した限界が変われば、すぐに力がでることになる。
で、ブルワーカーの謳い文句のように、めでたく1週間で効果があらわれることになる。
この効果は、筋力が1週間でついたんじゃなくって、脳の設定する限界値が変化しただけのことだから、本当の筋力トレーニングは、そこから始まることになる。
そうなると、最初のこの劇的な筋力増加(と勘違いするよなこと)は、もう起こらない。
地道なトレーニングの後の少しずつの進歩が待っているだけだ。
「陽のあたる教室」という映画がある。
僕はこの夏、エールフランスの機内でたまたま見ることができた。
ストーリーはよくある話で、先を読むことができるし、最後のシーンなんか、もうちょっと何とかならないものかと思ったけど、この映画の中に、素敵な台詞があった。
学校の先生をしながら作曲活動をしている忙しくて時間のないホランド先生(主人公)に、息子の面倒をもっとみてくれと彼の奥さんが言うと、彼は「僕は、できる限りのことをやっているんだ」と答える。
すると奥さんが「限りがあっちゃだめなのよ!」と叫ぶ。
僕はハッとした。
そうなんだ。
自分自身で設定するような「限り」があってはいけないんだ。
自分で「これができる限りです」なんて言って、できる限りのことをしたんだからと自分を慰めて、それ以上前進しなくてもいい言い訳にして、安心してしまったらだめなんだ。
この台詞は、もう一度でてくる。
役人がホランド先生に、「できる限りのことをしたんです」と言ったときに、ホランド先生が「限りがあっちゃだめなんだ!」と怒る。
あの映画は、この台詞のためにあったんだろうと僕は勝手に思ってる。
限界は、確かにある。
無理は禁物だ。
けがをしてはいけないし、病気になってもいけない。
それは分かってる。
だけど、自分自身でさえ気づいていない能力がまだあるとしたら、それを使わずに自分で設定した限界になったからって、そこで進むのをやめたくない。
もっとやれるはずだ。
まだまだやれるはずだ。
そうやって、自分で設定する限界を少しでも遠くにやりたい。
君の設定してる限界は、どのあたりかな?
16号 価値ってなぁに?
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18号 自信ってなぁに?
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