オリジナルってなぁに?
この世に何かを最初に産み出せば、それは orijinal(オリジナル:独創的な。原物)に違いない。
それが、物であれ、言葉であれ、旋律であれ、なんであったとしても。
そのオリジナルを応用して発展させることは、多くの人のできることだ。
例えば、1に1を足せば2になるし、1に10を掛ければ10になる。
だけど、最初の1を0からつくりだすことは、なかなかできない。
そこに、オリジナルであることの大きな価値があるんだ。
僕は、こうやって、いろんなことを書いている。
僕が感じてること、考えてることを書いているけど、その度に辞書をひいたり、参考になりそうな文献を調べたりしている。
そうすると、「僕が考えてる程度のことは、もうすでに、だれかが考えつくしているんだなぁ」ということが分かる。
ある時、そんなことを話してたら、「その考えてることっていうのは、自分で発見したのか?」と訊かれた。
うーん、そう訊かれて、困ってしまった。
きっと自分で考えだしたような気がしてるだけで、昔どこかで、聞いたり、読んだりしたことを思い出してるだけなんだろう。
だって、僕が自分だけでいろんなことを解明してるんだったら、すごすぎるもんね。
例えば、「デカルトって人は、僕と同じことを考えていたんだなぁ」などと思うことはない。
だって、僕がデカルトと同等以上であるはずがないもの。
デカルトの考えの一部を僕自身の中に取り入れてるだけなんだ。
そうやって、いろんなものを蓄えて、それに僕の経験をプラスして、自分なりに考えなおしてる。
ほとんどが、だれかの真似に違いないけど、自分なりに考えなおすってのが大事なことなんだ。
キース・ジャレットというジャズピアニストがいる。
彼は、1972年頃、コンサートにおいて、すべてアドリブで演奏するということをやってのけた。
(これは、CDとして発売されている。)
譜面は無いし、コード進行すらも決まってなかった。
すべてが即興。
その瞬間その瞬間の気持ちを、ピアノの音にしていった。
どんな演奏になるか、聴衆にも本人にも分からない。
それなのに、みごとな曲が次々に創造されていった。
人には、好みのフレーズや手癖があるものだけど、驚くべきことに、同じフレーズが2度弾かれることはなかった。
きっと彼の中には無数のフレーズが蓄えられていて、演奏の瞬間の気持ちにピッタリ合ったフレーズがつながったのだろう。
それらのフレーズの中には、彼がどこかで聞いたものもあったに違いない。
だけど、それらが彼の中で醸成されたことによって、彼のオリジナルな音楽として表現されたわけだ。
いろんなフレーズを聴くと、それらの真似をしてしまうから、何も聴かずに創作することがオリジナルだと考えてるようなミュージシャンは、いない。
彼らは、多種多様の音楽を聴いている。
そのうえで、そこからさらに、orijinality(アリジナラティ:独創性)あふれるものを創造するんだ。
多くの音楽を聴くことによって無くなってしまうようなオリジナリティなら、そんなものは、あったところで大したことではない。
まったく何も無いところから何かを創造する人もいるにはいるけど、ほとんどの人は、天才と呼ばれる人も含めて、情報収集から始める。
多くの本を読んで、いろんな人と話をして、つまらないと思えるようなことも経験して、時には思考して、とことんまで研究をして、疲れたときには空想をして、それらが時間をかけて自分の中で融合される。
たまった情報の組み合わせは無限にある。
何と何が結びついたら何になるのか、だれにも分からない。
でも、いつか何かが外にあふれ出てきたとき、それはその人のオリジナルといえるんじゃないだろうか。
ところで、君のオリジナルって、どんなもの?
19号 恋愛ってなぁに?
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21号 友達ってなぁに?
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