勉強ってなぁに?−その3−
僕の好きな歴史上の人物のひとりは、ガリレオ・ガリレイだ。
彼に関する逸話はいろいろとあるけど、宗教裁判にかけられて、あっさりと罪を認め、帰り道で「それでも地球は動いている」と言ったとか言わなかったとかいうのを、だれもが知っていると思う。
僕は、この話を最初に聞いたとき、ガリレオは男らしくないヤツだと思った。
勉強不足だったんだよね。
だいたい、地球が動いていると言いだしたのは、コペルニクスで、ガリレオの生まれる20年ほど前に「天体の回転について」という本を出した。
ただ、コペルニクスは、地球が動いていると仮定すると、このように計算が合うけれど、これはあくまで仮説であって、本当のところは自分もよく分からないのだと表現した。
しかも、その本は、彼の死ぬ間際に出版したから、彼は迫害されることはなかった。
後にこの本はローマ法皇によって禁書にされるけど、100年近くもそのままだった。
つまり、科学上の発見である地動説そのものが悪いということではなかったんだ。
キリスト教における天動説の根拠は、旧約聖書のヨシュア記にあるらしいけど、それに対立するコペルニクスの地動説は、あまり流行らなかったらしい。
それが、ガリレオによって学問的な裏付けがなされるようになって(最終的にはニュートン)、地動説が広まり始めた。
キリスト教の思想に反するということも大きな問題なんだけど、それ以上に、当時のヨーロッパの人々の世界観(アリストテレスの天体論で、月や星は透き通った物質でできている等)と衝突してしまったんだ。
みんなが月はきれいなものだと思っていたところに、望遠鏡で見たらクレーターだらけのでこぼこだったよなんてガリレオが言いだしたもんだから、世の中を非常に惑わすことになったわけだ。
その頃のヨーロッパは、30年戦争という長い戦争のまっただ中で、ただでさえカトリックとプロテスタントが争って混乱してるのに、さらに世界観をぶちこわすような説まででてきたら、どうしようもなくなってしまう。
で、少しでも安定させるために、ガリレオが sacrifice(サクラファイス:いけにえ、犠牲)とされた、とは考えられないだろうか。
ルターが地動説は全くけしからんと激怒してるので、プロテスタントの方は地動説を全面否定してたんだろうけど、ガリレオを裁判にかけたのは、わりあい寛容だったカトリックの方だった。
ガリレオは敬虔なカトリック教徒だったし、法皇ともつきあいがあった。
ということは、ガリレオほどの男だから、裁判の結果まで見えていたんじゃないだろうか。
最終的にガリレオは、別荘に軟禁状態にされたけど、科学の研究を続けることはできた。
ガリレオは、こう思っていたのかも知れない。
「地動説を支持しませんとサインすることで、自分は殺されることもないだろうし、真実は、いずれだれかが明らかにしてくれる。自分にとっては、今意地を張ることよりも、さらなる研究を続けることが大切なんだ」と。
自分の目的に向かって最善の道を探し出す。
十分男らしいじゃないか!
(実際は、自分の生活のことをいっつも心配してる男だったようだけどね。)
ガリレオが科学史上に残した業績は偉大だ。
数学を理解して科学を学べば、彼の業績を納得できるけど、彼が生きた時代を世界史で学び、キリスト教のことを倫理で学び、国語で培った読解力で彼の著書を読み、さまざまな知識が自分の頭の中で融合されてひとつになったとき、彼の偉大さがもっとよく分かることだろう。
高校において教科書はバラバラだけど、それをバラバラのものとして覚えるだけではダメだ。
蓄えた知識は、自分なりに組み合わせて新しいものを創造しなくっちゃ。
今は分からない、無駄だと思えることでも、それがすごく大切なことかも知れないんだ。
高校で勉強することは、もう一生することがないんだってことが分かってる?