我慢ってなぁに?
今の時代、be patient(ペイシャント:忍耐強い)しなきゃならないことってのは、昔に比べて少なくなった。
食べる物や着る物は捨てるほどあるし、暑さ寒さもエアコンが一定にしてくれる。
気に入らないからとわがままを言っても、たいていはだれかが何とかしてくれる。
住みやすい世の中になったのかねぇ。
仏教用語に「四苦八苦」というのがある。
これは、生まれる苦しみ、老いる苦しみ、病の苦しみ、死ぬ苦しみの四苦に、愛別離苦(愛する者とやがて別れなければならない苦しみ)、怨憎会苦(憎む者と出会わなければならない苦しみ)、求不得苦(求めても思い通りに得ることのできない苦しみ)、五取蘊苦(身体、感受、知覚、意向、認識に執着する苦しみ)の4つを加えて八苦となる。
たかだか80年ほどの人生で、苦しみばかりが待ち受けているんだ。
だいたい、生まれること自体が苦しみだってんだから、どうしようもないわな。
苦しみから逃げようったって、逃げきれるわけがない。
苦しみを苦しみと認識せずに、ごまかしていくやり方もあるだろうけど、苦しみに対して、真っ向から立ち向かわなければならないときが、たくさんあるんだ。
でも、すべての苦しみを克服できるのは、悟りをひらくホンの一握りの人たちだけで、普通の僕らには無理なことなんだろう。
じゃ、どうすりゃいいのか。
苦しい苦しいって言い続けてもしょうがないから、我慢するんだろうな。
大学生の頃、毎年冬になると寒稽古があった。
朝早くから、みんなで外に出て、道着一枚で稽古をする。
ひとりじゃすぐに音を上げてしまいそうな凍てつく土の上に裸足で立っていると、足の形に地面が暖かくなる。
立つ場所を1cmでもずらすと、そこは冷たい土の上。
だから、なるべく位置を変えないように努力した。
それでも足の感覚は無くなってくる。
雪の降る中、土の上に座って、黙想もした。
薄目を開けると、前のヤツの頭や肩に雪が積もってる。
自分もそうなってるんだろうと想像すると、不思議と寒さは感じなかった。
カッコイイことやってるんだと、自分に酔ってたんだ。
寒いときに寒いところで稽古したからって、技が上達するわけでもない。
寒さに慣れて、風邪をひかなくなるわけでもない。
寒稽古というのは、ただ、寒さを我慢するためにやるんだ。
そんな我慢くらいひとりですればいいんだけど、仲間と励まし合いながらでないと、なかなかできない。
人間って、だれもが弱いもんなんだろう。
ポケベルや携帯電話が大流行してる。
便利なことは便利なんだろうけど、「元気ィ?」「今、なにしてるのォ?」って、どうでもいいことじゃないか。
(注:男女間の恋愛については別問題)
いったいいつから会ってないんだ?
半年くらいたったかな?
自分の存在を常に伝えていないと不安なのか、友人が自分の知らないところで行動していると仲間外れにされたように感じるのかどうか知らないけど、何にせよ、不安を解消するには、連絡してすぐに答えを得ることが一番とばかりに電話をかけまくる。
少しも我慢ができないんだ。
それに、「アイツなら今頃はこうしてるだろう」と想像することをしない。
そんなふうに、答えをすぐに言葉で得ることばかりに気を取られていると、人を思いやることもできなくなってしまう。
嫌なことを嫌だと言わないヤツが悪いんじゃないんだぞ!
嫌なことは、だれだって我慢したくない。
掃除みたいな面倒くさいことはしたくない。
勉強もやらずに済むならそうしたい。
だれかが与えてくれる何かおもしろいことで、楽しませてもらえばそれでいい。
そうやって生きても、四苦八苦にぶつかるとしたら・・・。
我慢するたびに強くなれるし、我慢してみなきゃ分からないことがいっぱいある。
我慢して何かをすることは、大事なことなんだ。
えっ?我慢ばっかりしてるって?本当かい?