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みかんのわ 29号

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勉強ってなぁに? −その4−
 
 勉強は、自分でするもんだ。

 探求したいことがあれば、家や図書館にこもればいい。

 大学受験だけが目的なら、大検(注:今の高卒認定)で資格をとってもいいし、塾で受験技術を学んでもいい。
 それの方が効率いいかも知れない。

 だけど、僕は学校で学習することを勧める。

 たとえば、理科の実験。
 実験器具を個人でそろえるのは、まず不可能だ。

 たとえば、体育。
 いろんな球技等のゲームは、ひとりではできない。

 そういうことができるのは、学校なんだ。
 

 数学に微分・積分学というのがある。

 ニュートンとライプニッツが同時期に考えついたことなんだけど、この考え方を一人で学習するのは、とても困難なことなんだ。

 できないわけじゃないけれど、長い時間がかかる。
 先生に教えてもらう方が、ずっと短期間で理解することができるんだ。

 いろんな教科・科目あるけれど、極端なことを言えば、独習できることは教えてもらわなくてもいいわけだ。

 後から自分ですればいい。

 だけど、そのことを一生勉強しないつもりなら、少しでも学校で学んだ方がいい。
 たとえ忘れてしまうとしても。
 

 何も学問だけを勉強だと言わなくてもいい。

 生きている、ただそれだけで経験できることすべてが勉強だと考えてもいい。

 学校は、特殊な社会だけど、一般社会の縮図でもある。

 クラスに変なヤツがいるとしたら、一般社会には、もっと変なヤツがいると思っていい。
 学校でいじめがあるとすれば、一般社会にいじめがあるからだと考えられる。

 学校の中だけでしか起こらないことってのは、ほとんどないんだ。

 ということは、将来一般社会で生きていくことの練習が、今できるということだ。
 しかも、失敗しても許されるんだから、どんどん練習しましょう。

 いろんな situation(スィチュエイシュン:立場、状況)において自分がどう行動すべきなのか、どう行動できるのか。

 何事かに対して自分はどう反応するのか。
 その反応は正しいのか正しくないのか。

 目標とする将来の自分に近づくために、何をしていけばいいのか。

 いろんなことを考えて、いろんなことをやってみよう。
 

 僕が高校に入学した時、自己紹介の時間があった。
 自分が何をしゃべったのか覚えてないけど、二人のことを覚えてる。

 一人は、黒板に名前を「西城秀樹」と書いて、みんなを笑わせた。
 それは僕が考えもしなかった冗談だった。

 その後、出身中学や趣味やらをしゃべって、結局本名を言うのを本人も忘れて席に戻ってしまったのに、だれも何も言わなかった。

 僕を含めて、名前を言ってないことに気づかないほどインパクトがあったんだ。

 もう一人は、そいつが前に出てきただけで、みんなが笑い始めた。
 それは、決してバカにしてるんじゃなくって、なぜか、楽しい気分になったんだ。

 彼が何かを言ったわけじゃないし、何かをしたわけじゃない。
 ただ、前に出てきただけなんだ。

 すごいヤツがいるもんだなぁと思った。

 それ以来、僕もそんな人間になれたらなぁと思い続けている。
 

 世代が違えば、経験が違うから、違った考え方をしたりする。
 たとえば、戦争を体験した人とそうでない人の考え方が違うようにね。

 いろんな世代とも交流が必要だけど、とりあえずは、同世代の人間を勉強しよう。

 同じ時代で育ってるということは、同じような環境で経験を積んでいるということだから、物事を考えるときのベースが、非常によく似てる。

 だから、違った意見だとしても納得しやすいんだ。

 学校というところは、そんなことも学ばせてくれる。
 自分という人間の勉強をして、同世代の人間の勉強をして、社会というものを勉強する。

 将来、必ず社会へ出なくてはいけないからといって、不安になる必要はない。
 今から十分予習できる。
 今の大人がダメだと思うなら、自分はそんな大人にならないように生きればいいだけだ。
 

 そろそろ勉強がおもしろくなってきたかな?
 
 
  

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