勉強ってなぁに? −その4−
勉強は、自分でするもんだ。
探求したいことがあれば、家や図書館にこもればいい。
大学受験だけが目的なら、大検(注:今の高卒認定)で資格をとってもいいし、塾で受験技術を学んでもいい。
それの方が効率いいかも知れない。
だけど、僕は学校で学習することを勧める。
たとえば、理科の実験。
実験器具を個人でそろえるのは、まず不可能だ。
たとえば、体育。
いろんな球技等のゲームは、ひとりではできない。
そういうことができるのは、学校なんだ。
数学に微分・積分学というのがある。
ニュートンとライプニッツが同時期に考えついたことなんだけど、この考え方を一人で学習するのは、とても困難なことなんだ。
できないわけじゃないけれど、長い時間がかかる。
先生に教えてもらう方が、ずっと短期間で理解することができるんだ。
いろんな教科・科目あるけれど、極端なことを言えば、独習できることは教えてもらわなくてもいいわけだ。
後から自分ですればいい。
だけど、そのことを一生勉強しないつもりなら、少しでも学校で学んだ方がいい。
たとえ忘れてしまうとしても。
何も学問だけを勉強だと言わなくてもいい。
生きている、ただそれだけで経験できることすべてが勉強だと考えてもいい。
学校は、特殊な社会だけど、一般社会の縮図でもある。
クラスに変なヤツがいるとしたら、一般社会には、もっと変なヤツがいると思っていい。
学校でいじめがあるとすれば、一般社会にいじめがあるからだと考えられる。
学校の中だけでしか起こらないことってのは、ほとんどないんだ。
ということは、将来一般社会で生きていくことの練習が、今できるということだ。
しかも、失敗しても許されるんだから、どんどん練習しましょう。
いろんな situation(スィチュエイシュン:立場、状況)において自分がどう行動すべきなのか、どう行動できるのか。
何事かに対して自分はどう反応するのか。
その反応は正しいのか正しくないのか。
目標とする将来の自分に近づくために、何をしていけばいいのか。
いろんなことを考えて、いろんなことをやってみよう。
僕が高校に入学した時、自己紹介の時間があった。
自分が何をしゃべったのか覚えてないけど、二人のことを覚えてる。
一人は、黒板に名前を「西城秀樹」と書いて、みんなを笑わせた。
それは僕が考えもしなかった冗談だった。
その後、出身中学や趣味やらをしゃべって、結局本名を言うのを本人も忘れて席に戻ってしまったのに、だれも何も言わなかった。
僕を含めて、名前を言ってないことに気づかないほどインパクトがあったんだ。
もう一人は、そいつが前に出てきただけで、みんなが笑い始めた。
それは、決してバカにしてるんじゃなくって、なぜか、楽しい気分になったんだ。
彼が何かを言ったわけじゃないし、何かをしたわけじゃない。
ただ、前に出てきただけなんだ。
すごいヤツがいるもんだなぁと思った。
それ以来、僕もそんな人間になれたらなぁと思い続けている。
世代が違えば、経験が違うから、違った考え方をしたりする。
たとえば、戦争を体験した人とそうでない人の考え方が違うようにね。
いろんな世代とも交流が必要だけど、とりあえずは、同世代の人間を勉強しよう。
同じ時代で育ってるということは、同じような環境で経験を積んでいるということだから、物事を考えるときのベースが、非常によく似てる。
だから、違った意見だとしても納得しやすいんだ。
学校というところは、そんなことも学ばせてくれる。
自分という人間の勉強をして、同世代の人間の勉強をして、社会というものを勉強する。
将来、必ず社会へ出なくてはいけないからといって、不安になる必要はない。
今から十分予習できる。
今の大人がダメだと思うなら、自分はそんな大人にならないように生きればいいだけだ。
そろそろ勉強がおもしろくなってきたかな?
28号 我慢ってなぁに?
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30号 神ってなぁに?
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