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未完の環 最終特別号

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 歴史上の人物はたくさんいて、受験勉強のために多くのことを記憶したはずだけど、そのほとんどすべてを忘れてしまった。

 歴史的なことがらをただひたすら暗記することが勉強だと考えていたから、歴史の勉強などおもしろくもなかった。

 その時、織田信長は何を考えていたんだろうとか、ナポレオンはどんな人物だったんだろうかということに、まったく興味がなかった。

 歴史の中には、いろいろな人間模様が現れているのに、そういうところに関心が向かなかった。
 人間の勉強をしてるのだということが分かってなかったんだ。
 

 大学生の時、ツーリングで山口県の萩へ行った。
 そこのユースホステルで、他の旅人と話をしてると、その中のひとりが「明日は松下村塾へ行くんだ。そうして、そこの近くを歩いて、吉田 松陰はここで何を考えていたんだろうかということを考えたいんだ」と遠足前の子供のように話した。

 吉田松陰が幕末に登場したことは高校の授業のおかげで知っていたが、彼が萩で何を考えていたのかを想像したこともなかった。

 だけど、確実に、そこで、日本の流れを変えることを考えていたに違いないんだ。

 彼のことをもっとよく知っていれば、松下村塾のまわりを散歩するだけで、楽しい一日になることだろう。
 知識のなかった僕は、観光名所(?)として、松下村塾を訪れただけだった。
 

 その時からなんだろうけど、吉田松陰のことはずっと気になってる。
 自分で調べりゃいいことなんだけど、「そのうちに」と思うだけで、何も追求していない。

 同じように、気になる人物が何人かいる。
 そのひとりが、三島由紀夫だ。
 

 三島の作品は、「金閣寺」くらいしか読んでないし、彼の出演している映画もたぶん見ていない。

 彼は最後に割腹自殺をしたんだけど、どういうことでそうしたのか、よくは知らない。

 アメリカでは、ずいぶん前に彼の生涯の映画「ミシマ」を製作したんだけど、日本未公開だから、内容も知らない。

 結局、僕は、三島についてほとんど何も知らないんだ。
 だけど、とても気になる。
 理由はない。

 気になるから気になる。
 それだけのことなんだ。

 彼の著書に「葉隠入門」というのがあって、「武士道というは、死ぬ事とみつけたり」という山本 常朝 の「葉隠」について書いている。

 その中で、三島は「芸術家や哲学者の世界は、自分のまわりにだんだんにひろい同心円を重ねていくような構造をもっている」と述べていて、さらに「行動家の世界は、いつも最後の一点を付加することで完成される環を、しじゅう眼前に描いているようなものである。瞬間瞬間、彼はこの一点をのこしてつながらぬ環を捨て、つぎつぎと別の環に当面する」とも述べている。

 僕には意味が分からないけど、三島は多くの未完の環の切れ目を重ねて、「死」ということによって、そこに一点を打ち、すべての環を完成させたんだろうと思う。
 

 若いうちは、すぐに結果を出したがる。
 10年努力し続けて完成するようなものよりは、2〜3年でそこそこできるようになるものの方がいい。

 いや、2年も3年も我慢できない。
 1ヶ月でなんとかできるものの方がいい、と。

 しょうがないよね。
 まだ、十数年しか生きてないんだから、これから今までの人生の半分の期間を何かにかけるというのは、大変なことだもんね。

 だけど、10年後、20年後の自分のために、今からやっておかなければならないことがあるかも知れない。

 しかも、それは、いつまでたっても完成しないかも知れない。

 それでも、今、行動しなければいけないことがあるかも知れないんだ。
 

 ミヒャエル・エンデのファンタジーで、映画にもなった「モモ」というのがある。

 時間泥棒の話なんだけど、この中に道路掃除夫のベッポという人物が登場する。

 彼は、モモに話しかける。
 「とっても長い道路を受け持つと、これじゃとてもやりきれないと思ってしまう。そこでせかせかと働きだす。いつ見てものこりの道路はちっとも減らないから、もっとすごい勢いで働く。心配でたまらないんだ。そしてしまいには息が切れてしまう。こういうやりかたは、いかんのだ。一度に道路全部のことを考えてはいかん。次の一歩のことだけ、次のひと掃きのことだけを考えるんだ。すると、ひょっと気がついたときには、道路が全部終わっとる。どうやってやりとげたのかは、自分でも分からん」と。
 

 そんなものだと僕も思う。
 途方もない見えない先のことを考えれば考えるほど、不安になる。
 あせってしまう。

 今見えている足下が大切なのに。
 今、一歩ふみだすことが大切なのに。
 今、一歩ふみださなければ、いつまでたっても前には進んで行けないのに。
 

 人生にマニュアルは、ないんだ。
 このとおりにやれば成功しますよなんてものは、ない。

 君たちは、失敗を恐れてないか。
 だれだって、失敗するのはいやだ。
 今まで成功ばかりしてきたから。
 だれかが敷いてくれた安全なレールの上を走ってきたから。

 でも、そろそろ行動しようよ。
 自分で行動するから、失敗するんだ。
 何かをするから失敗するんだ。

 だれかに守られて、何もしなければ、失敗もしない。
 悪いことが起こったら、愚痴をこぼせばいい。
 自分のせいじゃないとね。

 だけど、それは大きな失敗だろう。

 失敗を恐れるがために何もしないことが、ずっと先になって、最大の失敗だと気づくようになる。
 皮肉なもんだ。

 だから、すべては、「今」なんだ!
 

 お互いをよく知らずに1年1組がつくられて、1年間が過ぎてしまった。

 こんなことを言うと怒るかも知れないけど、入学してきた頃の君たちは、本当にかわいかった。

 自分でも分かるだろう。
 入学の時の集合写真を見てごらん。
 信じられないくらいかわいい自分が写っているから。
 

 たった1年間だったけど、君たちは本当に成長しました。

 僕が君たちに伝えたかったことは、ほとんどすべて伝えたつもりです。
 これ以上は、僕が何かをする必要がありません。
 君たちは、自分で考え、自分で行動できるはずです。

 もう少し、と思うこともあるけど、僕が手をさしのべたからといってできることではないでしょう。

 君たちが、自分で切り開いて行かなければなりません。

 自由でいたいのなら、自分で考え、自分で行動するのです。
 それがしんどいからと、みずから自由を放棄して、すべてを管理されることを望んではいけません。

 自由とは、楽なものではないのです。
 

 席替え自由。
 たったそれだけのことに戸惑ったはず。

 自分が自由であるためには、他人の自由を考えなければなりません。
 自分ひとりの自由はありえないのです。

 自分のまわりにある壁を取り除いて、他人の気持ちを感じなければならないのです。

 自分が殻に閉じこもってちゃ、人の心なんて見えません。
 自分のまわりの自分の殻が見えないようでは、なおさら人の心は見えません。

 人の心の痛みは感じられないけど、自分の心の痛みは人に分かってもらいたいなんて、そんなの都合よすぎるよ。
 

 こんなパズルがある。

 3人に赤か白の帽子をかぶらせる。
 自分の帽子は見えないけど、他の2人の帽子は見える。
 そこで、自分の帽子の色を推理する。
 自分の帽子の色が分かった人は、手をあげる。

 ルールは、ひとつ。
 3人の帽子うち、少なくともひとつは赤である。

 そこで、ある帽子を3人にかぶせたら、しばらくして同時に3人の手があがった。
 3人の帽子の色は何ですか?
 

 僕はこのパズルを考えに考えたから、どのような帽子をかぶらされても、自分の帽子の色をあてることができる。

 ただ、問題は、他の2人が僕と同じように他の人の考えを推理できないと、僕も自分の帽子の色を推理できないということだ。
 

 この1年間、僕は楽しかった。
 SHRやLHRなんて、本当に楽しかった。

 だって、君たちは、僕の予想以上の反応を示したんだから。

 自分の感性を信じて進んでいって下さい。
 そうして、いつか社会に出て、「出身学校は?」と訊かれたときに、「東大です」とか「京大です」とか言うんじゃなくて、「津高校です」と胸張って言えるくらいに、あと2年間を過ごして下さい。
 

 何もかも完成されなくてもいいじゃないか。
 たくさんの「みかんのわ」があればいいじゃないか。

 そう思わないか?
 
 

31号 平等ってなぁに?−その2−  ◆ ◇ ◆  夏休み特別号 Part 1
 
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