親友ってなぁに?
友達ってのは、いいもんだ。
親しい友達もいるし、あまり親しくない友達もいる。
中でも親友っていうと、また、違う響きがする。
でも、「親友って誰のこと?」って訊かれると、ちょっと困ったりする。
僕は彼を親友だと思っていても、彼が僕のことを親友だと思ってないとき、片想いの親友ってあるんだろうか。
両想いかどうかは、言葉で確認するのだろうか。
どのように?
「君は、僕の親友かい?」って訊くんだろうか。
そんなふうに訊かれたら、「そうだよ」って答えられるんだろうか。
小学校5年生くらいの時に、親友ってものにあこがれて、クラスメイトに訊いたことがある。
「僕らは、親友やよな」って言うと、そいつは困ってしまった。
「親友っていうか・・・まぁ、友達は友達やな」って答えてくれるのが精一杯。
じゃ、僕らは、あまり親しくなかったのか、というとそうでもなく、もちろん親しい友達関係にあった。
ただ、彼には、まだ、親友というものが何なのかが、はっきり理解できていなかったのかも知れないし、逆によく理解していたので、僕がそれには該当しないと考えていたのかも知れない。
どっちにせよ、小学生が思い描く親友ってのは、どんなんだろう。
その頃の僕は、何かの本で読んだ「何でも話せる親しい友達」ってことをimage(イミジ:イメージ)してたわけだけど、明日が来ることに何の疑いも持たず、「また明日」って言えた年代に、「話せないこと」っていうものがあったんだろうか。
子供は子供なりに悩みをかかえてて、子供なりに真剣だったりするけれど、誰かが困っていることを、クラスで討議してたくらいなんだから、「話せないこと」ってのは、今よりずっと少なかったに違いない。
(じゃ、今は、「話せないこと」がいっぱいあるのか、と小学生レベルで訊かれても困るわけで、「話す必要のないこと」があるって言えば分かってもらえるかな?
最終的には、自分自身の存在ってことに関わってくるので、このことは、また別の機会に話そう。)
となると、小学生は、親友でいっぱいなのか?
そんなことはない。
「友達がいなくて寂しい」ってのがわんさかいるわけだから。
でも、ひょっとしたら、「友達がいない」っていうときの「友達」ってのは、イメージばかりが大きく膨らんだ「親友」のことを指すんじゃないだろうか。
クラスメイトは友達で、一度話せば友達で、果ては同級生はみんな友達だと考えてしまうのがいる一方で「友達がいない」なんて言うのがいるわけだから、「友達」というもののイメージが人によって全然違うんだろうね。
「友達」というもののイメージを変えるだけで、「実は、私には、友達がいっぱいいました」ってことになったら、いいんだけどねぇ。
誰しも「親友」を求める時代があるようだ。
「親友」は「友達」の中からできあがっていくものだろうから、「親友」を追い求めるのと同じくらい、自分が相手にとって「親友」と思われるに足るものを備えられるように、自分を磨いていってほしい。
ところで、今の僕に親友が何人いるんだと訊かれると、これまた困ってしまう。
実は、今の僕には、「親友」っていうものがどういうものなのかが、イメージできないんだ。
仲の良い友人は何人かいるし、その中に、一生、こいつらとはつきあっていけるというのも何人かいる。
「それが親友じゃないか」っていうんなら、それでいい。
「いやいや、親友ってのは、何でも話せなきゃだめだ」っていうのなら、何でも話してみたことがないから、誰が親友か分からない。
親友であろうがなかろうが、今の僕にとって、そんなことは、どうでもいいことなんだ。
僕には、友達がいる。
その中に、親しいのもいればそうでないのもいるってことで十分なんだ。
ただ、彼ら友達にとって、僕自身が、彼らの良き友達でありたいと思う。
じゃぁ、「友達」って、どうやったらできるんだろう?