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みかんのわ 5号

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日記ってなぁに?
 
 そういえば、中学生の時から何年間か、日記を毎日つけてた記憶がある。

 何かの都合で書けなかった時は、後日、その日のことを書いたりして、一日も欠かさず自分自身の記録をとっていた。

 いつまで続けていたのか、よく覚えてないけど(大学生の頃まで続いたんだったっけかなぁ)、毎年、大晦日になると、一年分の日記を読み返すのが楽しみだった。

 「あぁ、そんなこともあったなぁ」などと一人でニヤニヤしていたに違いない。
 「紅白歌合戦」や「ゆく年・来る年」よりは、ずっとおもしろかった。

 俵 万智の「サラダ記念日」じゃないけれど、僕の日記にも記念日がいくつかあった。

 他人から見ればなんでもないようなちょっとしたことが、自分にとっては、非常にうれしいということがある。
 そんなことがあった日は、日記に「今日は記念すべき日だ」って書いた。


 高校生の時、友人の中に日記をつけてるというのがいたので、「日記に本当のことを書いとる?」って訊くと、彼は、「あたりまえやないか!」って言って、僕を不思議そうに見ていた。

 彼が何をどう考え、本心をどこまで書いていたのか知らないけど、彼の日記には、彼の本心が、たぶん書かれてあったのだろう。

 日記というものは自分自身のものだから、本当のことが書いてあって当然だし、誰にも話せないことだから日記に書くんだろう。
 それでいいと思う。

 でも、僕は、そうしていなかった。

 
 中学生の時、たまに深夜放送を聞くことがあって、ある時、女性listener(リスナー:聴取者)が、日記帳を7冊だったか燃やしたという手紙を送ってきた。

 DJは、谷村 新司だったと思うけど、彼は、しきりに「もったいないことを・・・」と言ってた。

 彼女が、なぜ日記を燃やしてしまったのかと言うと、
 「日記というものがこの世にある限り、いつか、誰かに読まれるに違いない。
 そのことに気づいてから、誰かに読まれることを前提にして書くことは、真実ではないことが分かったから」
 というようなことだった。


 顔で笑って心で泣いてたり、怒ってたり、憎んでいたりしたときに、「その時の自分の本心をいつか誰かに知られるかも・・・」と思いながら、僕は本心が書けない。

 だから、僕の日記には、事実が書いてあったけど、その時の気持ちを正確に書いてないところがあった。
 でも、読み返せば、その時自分が何を思っていたのかが分かったから、自分だけがその時の真実を理解できる記録にはなっていた。

 後から読むかも知れない誰かのために、親切なことはしてなかった。

 ただ、すべてベールで隠していたわけではないから、誰が読んでも、ある程度のことは分かるけどね。
 それに、本心を書こうと思っても書けないことがあった。

 と言うのは、その頃の僕は、感情を理性でコントロールしようとしてて、怒りや憎しみや悲しみを感じたとき、別の考え方ができないものだろうかと、その感情とは別のところで物事を考えた。

 そうすると、腹が立っているはずなのに、こんなことくらいで腹を立てるべきではない、と冷静な(別の)僕が考えるから、その時、自分は腹を立てているのか、いないのかが、自分自身で分からなかった。

 そんなことを続けた結果、喜びや怒りを隠すことは、なんとかできるようになってきたけど、未だに悲しみを隠すことが、うまくできない。
 

 実は中学生の時、僕が日記を書いてることを知った友人が、「お前の日記は、読んでみたい」って言うから、「今はあかんけど、僕が死んだら、日記帳全部やるわ」って約束をした。

 彼になら読ませてやってもいいとその時思ったからで、それ以降、彼のために日記を書いたわけじゃないし、僕自身に変化が生じたわけではない。

 彼が、そのことを覚えてるかどうか知らないが、僕は、いつか約束を果たさなければいけないと思っている。

 だけど、困ったことに、その日記帳が見つからない。
 大学に入学したときか、卒業したときの引っ越しで、どこかにしまいこんでしまったようだ。
 

 はたして、日記帳には、その人の本心が書いてあるのだろうか?

 
 

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